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「糸巻き」に汚染された人間が浄化されていく様


by SONZUKA
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無事に大学院修了後の職場は決まった。これは非常に恵まれており、以降に書く悩みは贅沢なのかも知れない。ただ、私自身にとっては不可避なので、備忘録的に。

結局、個として自立するため、また労働を自分のコントロール下に置くためことは、「被雇用者」の立場ではなかなか難しいことを再認識したのが今日である。また、自立&“Out of コントロール”に身を置くためには、もちろんそれを可能にする自分のB/S上のAssetを厚くすることと、自分で商売を始めるしかない。その選択肢の存在自体はKBS入学前から強く認識していたはずである。

やはり、である。やはり、事業を立ち上げることの面白さを知り、それを将来生業としたいと思っている今、私が持つ悩みを解決するには、Post次の会社においても“自分で商売を始める”というスタンス以外にないのであろう。大学院在学中に同士に出会えないのならば、結局自分一人で始めるか、次の会社でそういった同士を探し求めるか、である。いずれにせよ、そういう“スタンス”を持ち続けることが今後必須であることに改めて気づいた今日である。

学外の友人と学内の人間と、別個の会話で気づいたことである。ごく当たり前であるが、強く再認識する必要があろう。
# by sonzuka | 2009-09-26 00:54 | 日々雑感
昨日のPostで、

親類の葬式で涙に暮れている遺族のすぐ隣で、ヒンズー教における最高の“聖地”で、堂々と詐欺を働こうとする連中の存在をどう評価するか。「ケシカラン」というのが日本的価値観であろう。「罰が当たるぞ!」てなもんである。


と書いた。日本人的価値観では、親類の葬式で泣いている遺族のすぐ横で詐欺行為を働こうとするなんて、有り得ないだろう、ということである。しかし、本日いつも行っている美容院の美容師さんに同じ話をしたところ、

「日本だって香典泥棒なんて居るじゃないっすかー。同じじゃないっすかねー?」

と言われ、なるほどその通りだと納得してしまった。ゲスでどうしようもない人間ってのは全世界共通どこにでもいるということなのかもしれない。
# by SONZUKA | 2009-09-13 18:03 | 日々雑感
インド熱もようやく冷めてきたので、少し考えたことを備忘録的にまとめてみよう。

半月の貧乏インド旅行を振り返ると、色々楽しくないことや不愉快なこと、ムカツクこと(良いことはなかったのか!?)が思い出されるが、痛烈に実感させられたのが、「価値観の相違」である。「良いこと悪いこと」の判断基準から死生観まで全く違うのだ。日本人的な価値観でインドに生きる人を評価する姿勢では、インド旅行から得るものは殆ど無かっただろう、と昨日旧友との会話から痛感した。

例えば、お金を稼ぐために平気で嘘をつく人々。生まれてすぐに一生「物乞い」として生きていくことを義務づけられ、両親に足や手を切断されてしまった人々。街中でも聖なる地でもお構いなしにゴミを捨て唾を吐きちらす人々。彼らを見てさすがに伝統的価値観を持つ(と自負している)私ならずとも不愉快な気分になるだろう。これは仕方がない。純粋な生理的現象であり、半月そこそこの旅行で変えられる物ではないからだ。

しかし、彼らについて「是か非か」の判断をするのはどうか。ついつい、「これだからインド人は…」「どうしようもない奴らだな、インド人は…」と無意識に思ってしまう(もちろん、5%くらいはNice Guysも居り、彼らには大いに助けられ、楽しませてもらったが)。これは日本人のみが共有し、おそらくインド人にとっては異端である価値観で評価するからであり、極めて不遜な姿勢である。これでは自分の共有しない価値観を受け入れることは到底出来ないのだ。

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インド人と私たちの最も大きな違いは死生観にあると思う。

私がインドで考えた「死」とは何か。

例えば、ヒンズー教の聖地であるガンガーの畔にある火葬場・マニカルニカー。火葬場といっても何もなく、コンクリートで固められた川辺で薪を並べて死体を火葬するのである。日本にいれば死体を目にすることは滅多にないが、ここでは違う。絶え間なく担架で人間の死体が担ぎ込まれる。死体は綺麗な布に包まれているものの明らかに人の形をしているので、一目でそれと分かる。辺りには何とも言えない異臭が漂う。薪で数時間火葬するだけなので遺体は完全には焼けない。その状態のまま、川に流されるのである。墓を作らないヒンズー教徒にとって遺灰(というか焼かれた遺体)をガンガーに流されることが最大の幸福なのだそうだ。親類の葬式で涙に暮れている遺族のすぐ隣で、ヒンズー教における最高の“聖地”で、堂々と詐欺を働こうとする連中の存在をどう評価するか。「ケシカラン」というのが日本的価値観であろう。「罰が当たるぞ!」てなもんである。

しかし、ひょっとして、インド人にとっては、ヒトも犬や牛、草木と同じ生物の一種であり、死ぬも生まれるも極々自然なこととして捉えているから、詐欺をも許容してしまうのかもしれない。実際、マニカルニカー・ガートの10mも離れない場所では、男が石鹸で体を洗い、女が洗濯をし、牛は水浴びをし、犬は焼け残った肉片を頂戴しようとウロウロしているのである。他のガートと相違ない光景なのである。

日本では「死」は決して日常に触れないところに存在すると私たちは考えている。実際、「死」や死体を目の当たりにすることが日常どれくらいあるだろう。「死」は極力触れずにいたい、考えずにいたい、忌み嫌うものとして捉えている。しかし、マニカルニカーでは180度違う。「死」や死体は日常のものとしてそこにある。


私がインドで考えた「生」とは何か。

「手足がない物乞い」。話はもちろん聞いていたが、実際にリシケシで多くの「手足がない物乞い」を見たときはかなりのショックで、理由なく目から涙が落ちてしまい、大いに困った。この人たちを見て「気の毒だ」、「親は何を考えているのか」、「何のために生を全うするのだろう」などと思うのが日本人的価値観であろう。しかし、果たして、本人達は「自分が不幸な存在であり、悲しみに暮れている」のだろうか。「生きることの意味は何か」などと考えているのだろうか。

どれだけ経済が発達し、人が豊かになっても、効用は「人との差異」から生まれるという。絶対的裕福さではなく、相対的裕福さから効用が生まれるそうだ。インドにおいては、カースト制度がかつて存在した(今も残るという)。紀元前13世紀頃に出来たと言うから3000年の歴史があるのだ。日本では士農工商という身分制度があった。また、日本でもインドでもカーストや士農工商に属さない人々が存在した。身分制度に属する人たちの効用を上げるために置いたのだろう。この人達はどんなに努力をしてもこの身分から抜け出すことが出来ないのだそうだ。とすると、「生きることの意味」を彼らは考えるのだろうか。努力しても何も叶わない、決して抗えないのが彼らの人生であり、果たして彼らはその意味を考えるだろうか。

実際、ヒンズー教にも、また仏教にも「輪廻転生」という考え方がある。これは、Wikipediaによると「生き物が死して後、生前の行為つまりカルマ(karuman)の結果、次の多様な生存となって生まれ変わること」である。ヒンズー教でも仏教でもこの輪廻転生から抜け出し、二度とこの世に生まれてくることのない「解脱」こそが最高の理想なのである。要するに、生を受けて死を待つ「生存」の時間が「苦」なのである。この思想から「生きることの意味」という概念が果たして生まれるのだろうか。

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要するに、生物体である我々が決して逃れられない、「生きること」と「死ぬこと」について、その解釈が全く違うらしい、ということが分かったのがインド旅行での収穫である、というのがこのブログの結論。長い。長すぎる。文章が下手だ。
# by SONZUKA | 2009-09-12 17:47 | 日々雑感
学生なんだから旅行に行かなきゃ!ということで、十分に長い休暇を低コストで楽しむためにどこにいくべきか、と頭を悩ませていたのだが、多くの友人が「また行きたい!」だの「人生観が変わった気がする」だの好評を博していたインドを目的地とすることにした。

下記がその旅行日程。

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14日 デリー到着、デリー泊。
15日 デリー市内を一通り観光。
16日 早朝リシケシ(Rishikesh)にバスで移動する筈が、ハルドワール(Hardwar)行きだと知らず、終点から途中まで折り返してしまい、途中下車。そこからリキシャを捕まえ、バイクに乗り換えリシケシへ移動。リシケシ泊。
17日 リシケシ市内観光。
18日 リシケシ→デリーをバスで、デリー→アグラー(Agra)を列車で移動。アグラー泊。
19日 午前中でアグラー観光終了。急遽バラナシ(ヴァーラーナスィー、Varanasi)への移動を決定。夜行でバラナシへ移動。
20日 午前にバラナシ到着。一眠りしてバーに飲みに行く。そこで携帯を盗まれる。
21日 バラナシ観光。
22日 バラナシのガートでグダグダ。サールナート(Sarnath)観光。洗濯実施。
23日 バラナシのガートでグダグダ。夕方の列車でガヤ(Gaya)へ移動。日本人青年と仲良くなり、共にブッダガヤにリキシャで移動。ブッタガヤ泊。
24日 ブッダガヤ、スジャータ村観光。
25日 近郊の山など観光。夜の列車でカルカッタ(Kolkata)へ移動する予定がテロ(?)による線路爆破(?)で2日間列車が不通だといわれる。駅で知り合った日本人青年3人と共に、仲良くなったインド人青年のタクシーでブッダガヤに戻り宿泊。
26日 日本人青年4人と共に、インド人青年の知り合いの旅行代理店でパトナ(Patna)までのタクシーチャーターとパトナ→デリーの列車を手配。タクシーでデリーへ移動。夜の列車でデリーへ移動。
27日 5時間遅れでお昼前にようやくデリー到着。観光をする気合いが出ず、メインバザールのバーで飲酒三昧。
28日 贅沢な昼食を取ろうと地球の歩き方で評判の「チキン・イン」というレストランで昼食(全く大したことのないバターチキンを食す)。その後、お土産を調達し、タクシーで空港へ。
29日 大好きな日本へ無事到着。
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一言で言うと、今のところ二度と行きたくない国がインドである。どういう国かを知るには、下記のウェブサイトがお勧めである。当にインドで私が体験したそのままが書かれてあり興味深い。

対インド人戦闘日記 ふりむけばインディアン

細かい旅行記はこのウェブサイトに譲るとして、インドで感じたことを素直に書いてみたい。
# by sonzuka | 2009-09-01 19:42 | 日々雑感
MBA2年目の夏休み=人生最後の長期休暇、ということで、それなりにIntensiveな夏休みを企画した。

 ①MBAなんだからインターンに行かなきゃ!
 ②学生なんだから旅行に行かなきゃ!


備忘録として先週金曜日に終えた①について記したい。

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①MBAなんだからインターンに行かなきゃ!

<雑感>
我がビジネススクール(KBS)は国内ビジネススクールであるせいか、修了後のキャリアとして、起業やキャリアチェンジを考えている人が非常に少ないようだ。2割弱と言ったところか。まぁ、他人がどうであろうと自己の意思決定とは全く関係しないのだが、ビジネススクールに行く理由として「同じような志望を持った志の高い人との切磋琢磨する」という目的も主要な理由として挙げられることから、やはりこの点では我がスクールは海外トップスクールと比べると極めて物足りないということになるだろう。同じ志望を持った人、というのが少ない上、切磋琢磨したい、という人になると更に限られてしまう。これはやはり残念なことである。

従って、海外ビジネススクールの「2年次はインターンをして過ごす」という常識が我がスクールではないわけで、インターンをしている人は殆どいないようだ。そりゃ、リクルーティングの情報を集めるのに苦労するはずである。

インターン先はTier1に属するトップの戦略コンサルティングファーム2つ(M社とB社)のうちの一つということもあり、他のインターン生のキャリアは凄まじく、私はそれに圧倒され「こりゃ自分にOfferが出ることはないな(苦笑)」と初日で諦めかけてしまった。ハーバード(前職:起業)、ウォートン(前職:某携帯キャリア・マーケター)、ロンドンビジネススクール(弁護士)、仏HEC(公認会計士)、国内ビジネススクールの私、といった顔ぶれなので、仕方ないだろう。自分のブランド好き、ブランドに対する弱さを痛感した。

<ファームの人々>
やはりパートナー連中は凄まじくレベルが高い。頭脳面、人格面、非の打ち所がない(もちろん、我々インターン生に対してはお客様に対する対外的な接し方をしているのでその分割り引いて考える必要があるが)。コンサルティングというProfessionと自身の属する組織を心から愛し、楽しんでいる様子がうかがえた。何しろみんな明るいしポジティブだし格好良いし、話しているこちらまで楽しくなってくる、そんな人たちである。流石である。マジで一緒に働かせてもらいたい、と思える人たちだ。

<海外トップスクールと我が国内スクールとの差>
これは全く感じなかった。インターンでは実際のケース(プロジェクト)に取り組み、インターン生毎に課題が与えられ、それをケースリーダーやメンバーとディスカッションして「仮説←→検証のグルグル回し」をしていく、というものなので、個々の思考力、分析力、アイディア創出力、知識力がよく分かる。コンサルティングファームにとっては高コストだがEvaluationとしては最適のリクルーティング法なのであろう。

前述の通り私は「所詮自分は国内、海外トップスクールの学生とは住む世界が違う」と思っていた。このファームのインターンに良くも選ばれたな、とビックリしていたほどである。初日では彼らのブランド・キャリアに圧倒されていたが、実際のプロジェクトが始まって彼らと議論する中で、自分の総合力は少なくとも彼らと同等以上であることを実感できた。これは大きな収穫である。国内スクールとはいえ、日本語でがっちり勉強してきた自分が知識力で負けるわけがないし、思考力、分析力にも引けを取らない。もちろん、5人の中での比較なので思い上がるのも危険だが(笑)、少なくともこのファームにインターンの選抜をされる、ということはそれぞれのスクールでも「cream of the crop」であった訳で、多少の自信を持っても良さそうだ。また、意外と「お勉強」も役に立つのだ。ミクロ経済学の基本的な考え方はやはりMBAには必須であろう。

ただ、彼らと私の最大の違いは、ギリギリまでレバレッジを掛け(借金をし)、世界各国から集まってきたエリートどもと母国語でない英語でアウェーで戦って勝ち抜いているという自信と、その戦いの中で、日本国内では絶対体験できない貴重な経験を彼らは持っているという点である。これはかなり大きな差であり、自己の努力で埋められるものではない。国内スクールに通う私としては、せいぜい”お勉強”を頑張り、英語で負けないように研鑽する、ことぐらいしか出来ないのは哀しいばかりである(他に何が出来るか真剣に考えてみる必要はありそうだ)。


で、あとはオファーが出るのを待つのみである。ま、期待をせず待つこととしよう。

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-追記-
無事、オファーを受け取った。大学院進学の目的は一応達成。良くやった、ということだろう。
# by SONZUKA | 2009-08-11 15:10 | 日々雑感