「糸巻き」に汚染された人間が浄化されていく様


by SONZUKA
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奇異な目

Stevie Wonder「Fulfillingness' First Finale」を聴きながら。
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何とも優しい音。全身の筋肉が弛緩していくのが分かる。美しい。詳細は後日書いてみるかな。これが何と1200円!!ものの価値とは??



閑話休題。
自分と違った考え方や価値観を持った人に対して、人は奇異な目を向けることが多い。しかし、彼らは自分の持つ価値観に絶対的な自信を持つから、他人のそれを奇異だと感じるのではないと思う。自分の知らない知識やおもしろいもの、価値観を他人から教えて貰ったり学んだりして自分のものにする姿勢なら決して「奇異」な目を向けたりはしないと思うのだが。

今思えば、中学生くらいの頃からどちらかというと人から奇異な目で見られることが多かったような気がする。それが気にならないわけではなく、恥ずかしながら大学に入った初めのうちは人と共有できる話題を探したりとそれなりに努力した(サッカーや競馬、麻雀などを覚えようとしたものだ…)のだが、幸せなことにそのようなことに時間を使う余裕も無くなってきたため、自分の本能の赴くままに好きなことをした。それこそ寝ても覚めても音楽音楽という生活で、それが楽しくて仕方なかった。仲間たちも他の学生からは明らかに浮いている人間ばかりで、そこがまた面白かった。

人のパーソナリティーが他人に認知されると、「浮いている」彼は従来から浮いている、元来そういうものだと認識されるため、いちいち奇異な目を向けられることは無くなってくる。要するに、環境が変わり自分の周りを取り巻く人間が変わった時、久しぶりに奇異な目を向けられて「あぁそういえば…」と気づく。

今年1月に6年も勤めた会社を辞め転職した私はちょうどこのような経験をした。(いや、別に仲間はずれにされたり、冷たくされたりされているわけではないのですが…念のため。) 「ええっ、そうなの?」的な視線で何回か見られて、ふと昔のことを思い出しただけである。他愛もないことなのだが、生活観のこと、お金に対する姿勢のこと、笑いのツボ、趣味についてなど。私の「奇異な視線で見られる歴」も随分と長いので図太くなったのか、いちいち動揺することは無くなった。ま、成長なのか、諦めなのか…。

思えば、このような「図太さ」を身につけたのと、自分の無知無力を知り、それ故に知らない価値観を分析したり持たない知識や考え方などをものにしたいという姿勢が出来てきたのは、同時であるような気がする。その触媒となっているのは、個性的な友人や、先人の知の格闘の結晶である多くの書物との出会い、であろうか。

蛇足だが、先日我が弟と初めての二人きりの酒席を共にした時に、やはり彼は私と同じ血を受け継いでいることを再確認した。何とも…。
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by SONZUKA | 2005-03-21 21:30 | 日々雑感