「糸巻き」に汚染された人間が浄化されていく様


by SONZUKA
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カテゴリ:日々雑感( 50 )

無事に大学院修了後の職場は決まった。これは非常に恵まれており、以降に書く悩みは贅沢なのかも知れない。ただ、私自身にとっては不可避なので、備忘録的に。

結局、個として自立するため、また労働を自分のコントロール下に置くためことは、「被雇用者」の立場ではなかなか難しいことを再認識したのが今日である。また、自立&“Out of コントロール”に身を置くためには、もちろんそれを可能にする自分のB/S上のAssetを厚くすることと、自分で商売を始めるしかない。その選択肢の存在自体はKBS入学前から強く認識していたはずである。

やはり、である。やはり、事業を立ち上げることの面白さを知り、それを将来生業としたいと思っている今、私が持つ悩みを解決するには、Post次の会社においても“自分で商売を始める”というスタンス以外にないのであろう。大学院在学中に同士に出会えないのならば、結局自分一人で始めるか、次の会社でそういった同士を探し求めるか、である。いずれにせよ、そういう“スタンス”を持ち続けることが今後必須であることに改めて気づいた今日である。

学外の友人と学内の人間と、別個の会話で気づいたことである。ごく当たり前であるが、強く再認識する必要があろう。
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by sonzuka | 2009-09-26 00:54 | 日々雑感
昨日のPostで、

親類の葬式で涙に暮れている遺族のすぐ隣で、ヒンズー教における最高の“聖地”で、堂々と詐欺を働こうとする連中の存在をどう評価するか。「ケシカラン」というのが日本的価値観であろう。「罰が当たるぞ!」てなもんである。


と書いた。日本人的価値観では、親類の葬式で泣いている遺族のすぐ横で詐欺行為を働こうとするなんて、有り得ないだろう、ということである。しかし、本日いつも行っている美容院の美容師さんに同じ話をしたところ、

「日本だって香典泥棒なんて居るじゃないっすかー。同じじゃないっすかねー?」

と言われ、なるほどその通りだと納得してしまった。ゲスでどうしようもない人間ってのは全世界共通どこにでもいるということなのかもしれない。
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by SONZUKA | 2009-09-13 18:03 | 日々雑感
インド熱もようやく冷めてきたので、少し考えたことを備忘録的にまとめてみよう。

半月の貧乏インド旅行を振り返ると、色々楽しくないことや不愉快なこと、ムカツクこと(良いことはなかったのか!?)が思い出されるが、痛烈に実感させられたのが、「価値観の相違」である。「良いこと悪いこと」の判断基準から死生観まで全く違うのだ。日本人的な価値観でインドに生きる人を評価する姿勢では、インド旅行から得るものは殆ど無かっただろう、と昨日旧友との会話から痛感した。

例えば、お金を稼ぐために平気で嘘をつく人々。生まれてすぐに一生「物乞い」として生きていくことを義務づけられ、両親に足や手を切断されてしまった人々。街中でも聖なる地でもお構いなしにゴミを捨て唾を吐きちらす人々。彼らを見てさすがに伝統的価値観を持つ(と自負している)私ならずとも不愉快な気分になるだろう。これは仕方がない。純粋な生理的現象であり、半月そこそこの旅行で変えられる物ではないからだ。

しかし、彼らについて「是か非か」の判断をするのはどうか。ついつい、「これだからインド人は…」「どうしようもない奴らだな、インド人は…」と無意識に思ってしまう(もちろん、5%くらいはNice Guysも居り、彼らには大いに助けられ、楽しませてもらったが)。これは日本人のみが共有し、おそらくインド人にとっては異端である価値観で評価するからであり、極めて不遜な姿勢である。これでは自分の共有しない価値観を受け入れることは到底出来ないのだ。

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インド人と私たちの最も大きな違いは死生観にあると思う。

私がインドで考えた「死」とは何か。

例えば、ヒンズー教の聖地であるガンガーの畔にある火葬場・マニカルニカー。火葬場といっても何もなく、コンクリートで固められた川辺で薪を並べて死体を火葬するのである。日本にいれば死体を目にすることは滅多にないが、ここでは違う。絶え間なく担架で人間の死体が担ぎ込まれる。死体は綺麗な布に包まれているものの明らかに人の形をしているので、一目でそれと分かる。辺りには何とも言えない異臭が漂う。薪で数時間火葬するだけなので遺体は完全には焼けない。その状態のまま、川に流されるのである。墓を作らないヒンズー教徒にとって遺灰(というか焼かれた遺体)をガンガーに流されることが最大の幸福なのだそうだ。親類の葬式で涙に暮れている遺族のすぐ隣で、ヒンズー教における最高の“聖地”で、堂々と詐欺を働こうとする連中の存在をどう評価するか。「ケシカラン」というのが日本的価値観であろう。「罰が当たるぞ!」てなもんである。

しかし、ひょっとして、インド人にとっては、ヒトも犬や牛、草木と同じ生物の一種であり、死ぬも生まれるも極々自然なこととして捉えているから、詐欺をも許容してしまうのかもしれない。実際、マニカルニカー・ガートの10mも離れない場所では、男が石鹸で体を洗い、女が洗濯をし、牛は水浴びをし、犬は焼け残った肉片を頂戴しようとウロウロしているのである。他のガートと相違ない光景なのである。

日本では「死」は決して日常に触れないところに存在すると私たちは考えている。実際、「死」や死体を目の当たりにすることが日常どれくらいあるだろう。「死」は極力触れずにいたい、考えずにいたい、忌み嫌うものとして捉えている。しかし、マニカルニカーでは180度違う。「死」や死体は日常のものとしてそこにある。


私がインドで考えた「生」とは何か。

「手足がない物乞い」。話はもちろん聞いていたが、実際にリシケシで多くの「手足がない物乞い」を見たときはかなりのショックで、理由なく目から涙が落ちてしまい、大いに困った。この人たちを見て「気の毒だ」、「親は何を考えているのか」、「何のために生を全うするのだろう」などと思うのが日本人的価値観であろう。しかし、果たして、本人達は「自分が不幸な存在であり、悲しみに暮れている」のだろうか。「生きることの意味は何か」などと考えているのだろうか。

どれだけ経済が発達し、人が豊かになっても、効用は「人との差異」から生まれるという。絶対的裕福さではなく、相対的裕福さから効用が生まれるそうだ。インドにおいては、カースト制度がかつて存在した(今も残るという)。紀元前13世紀頃に出来たと言うから3000年の歴史があるのだ。日本では士農工商という身分制度があった。また、日本でもインドでもカーストや士農工商に属さない人々が存在した。身分制度に属する人たちの効用を上げるために置いたのだろう。この人達はどんなに努力をしてもこの身分から抜け出すことが出来ないのだそうだ。とすると、「生きることの意味」を彼らは考えるのだろうか。努力しても何も叶わない、決して抗えないのが彼らの人生であり、果たして彼らはその意味を考えるだろうか。

実際、ヒンズー教にも、また仏教にも「輪廻転生」という考え方がある。これは、Wikipediaによると「生き物が死して後、生前の行為つまりカルマ(karuman)の結果、次の多様な生存となって生まれ変わること」である。ヒンズー教でも仏教でもこの輪廻転生から抜け出し、二度とこの世に生まれてくることのない「解脱」こそが最高の理想なのである。要するに、生を受けて死を待つ「生存」の時間が「苦」なのである。この思想から「生きることの意味」という概念が果たして生まれるのだろうか。

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要するに、生物体である我々が決して逃れられない、「生きること」と「死ぬこと」について、その解釈が全く違うらしい、ということが分かったのがインド旅行での収穫である、というのがこのブログの結論。長い。長すぎる。文章が下手だ。
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by SONZUKA | 2009-09-12 17:47 | 日々雑感
学生なんだから旅行に行かなきゃ!ということで、十分に長い休暇を低コストで楽しむためにどこにいくべきか、と頭を悩ませていたのだが、多くの友人が「また行きたい!」だの「人生観が変わった気がする」だの好評を博していたインドを目的地とすることにした。

下記がその旅行日程。

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14日 デリー到着、デリー泊。
15日 デリー市内を一通り観光。
16日 早朝リシケシ(Rishikesh)にバスで移動する筈が、ハルドワール(Hardwar)行きだと知らず、終点から途中まで折り返してしまい、途中下車。そこからリキシャを捕まえ、バイクに乗り換えリシケシへ移動。リシケシ泊。
17日 リシケシ市内観光。
18日 リシケシ→デリーをバスで、デリー→アグラー(Agra)を列車で移動。アグラー泊。
19日 午前中でアグラー観光終了。急遽バラナシ(ヴァーラーナスィー、Varanasi)への移動を決定。夜行でバラナシへ移動。
20日 午前にバラナシ到着。一眠りしてバーに飲みに行く。そこで携帯を盗まれる。
21日 バラナシ観光。
22日 バラナシのガートでグダグダ。サールナート(Sarnath)観光。洗濯実施。
23日 バラナシのガートでグダグダ。夕方の列車でガヤ(Gaya)へ移動。日本人青年と仲良くなり、共にブッダガヤにリキシャで移動。ブッタガヤ泊。
24日 ブッダガヤ、スジャータ村観光。
25日 近郊の山など観光。夜の列車でカルカッタ(Kolkata)へ移動する予定がテロ(?)による線路爆破(?)で2日間列車が不通だといわれる。駅で知り合った日本人青年3人と共に、仲良くなったインド人青年のタクシーでブッダガヤに戻り宿泊。
26日 日本人青年4人と共に、インド人青年の知り合いの旅行代理店でパトナ(Patna)までのタクシーチャーターとパトナ→デリーの列車を手配。タクシーでデリーへ移動。夜の列車でデリーへ移動。
27日 5時間遅れでお昼前にようやくデリー到着。観光をする気合いが出ず、メインバザールのバーで飲酒三昧。
28日 贅沢な昼食を取ろうと地球の歩き方で評判の「チキン・イン」というレストランで昼食(全く大したことのないバターチキンを食す)。その後、お土産を調達し、タクシーで空港へ。
29日 大好きな日本へ無事到着。
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一言で言うと、今のところ二度と行きたくない国がインドである。どういう国かを知るには、下記のウェブサイトがお勧めである。当にインドで私が体験したそのままが書かれてあり興味深い。

対インド人戦闘日記 ふりむけばインディアン

細かい旅行記はこのウェブサイトに譲るとして、インドで感じたことを素直に書いてみたい。
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by sonzuka | 2009-09-01 19:42 | 日々雑感
MBA2年目の夏休み=人生最後の長期休暇、ということで、それなりにIntensiveな夏休みを企画した。

 ①MBAなんだからインターンに行かなきゃ!
 ②学生なんだから旅行に行かなきゃ!


備忘録として先週金曜日に終えた①について記したい。

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①MBAなんだからインターンに行かなきゃ!

<雑感>
我がビジネススクール(KBS)は国内ビジネススクールであるせいか、修了後のキャリアとして、起業やキャリアチェンジを考えている人が非常に少ないようだ。2割弱と言ったところか。まぁ、他人がどうであろうと自己の意思決定とは全く関係しないのだが、ビジネススクールに行く理由として「同じような志望を持った志の高い人との切磋琢磨する」という目的も主要な理由として挙げられることから、やはりこの点では我がスクールは海外トップスクールと比べると極めて物足りないということになるだろう。同じ志望を持った人、というのが少ない上、切磋琢磨したい、という人になると更に限られてしまう。これはやはり残念なことである。

従って、海外ビジネススクールの「2年次はインターンをして過ごす」という常識が我がスクールではないわけで、インターンをしている人は殆どいないようだ。そりゃ、リクルーティングの情報を集めるのに苦労するはずである。

インターン先はTier1に属するトップの戦略コンサルティングファーム2つ(M社とB社)のうちの一つということもあり、他のインターン生のキャリアは凄まじく、私はそれに圧倒され「こりゃ自分にOfferが出ることはないな(苦笑)」と初日で諦めかけてしまった。ハーバード(前職:起業)、ウォートン(前職:某携帯キャリア・マーケター)、ロンドンビジネススクール(弁護士)、仏HEC(公認会計士)、国内ビジネススクールの私、といった顔ぶれなので、仕方ないだろう。自分のブランド好き、ブランドに対する弱さを痛感した。

<ファームの人々>
やはりパートナー連中は凄まじくレベルが高い。頭脳面、人格面、非の打ち所がない(もちろん、我々インターン生に対してはお客様に対する対外的な接し方をしているのでその分割り引いて考える必要があるが)。コンサルティングというProfessionと自身の属する組織を心から愛し、楽しんでいる様子がうかがえた。何しろみんな明るいしポジティブだし格好良いし、話しているこちらまで楽しくなってくる、そんな人たちである。流石である。マジで一緒に働かせてもらいたい、と思える人たちだ。

<海外トップスクールと我が国内スクールとの差>
これは全く感じなかった。インターンでは実際のケース(プロジェクト)に取り組み、インターン生毎に課題が与えられ、それをケースリーダーやメンバーとディスカッションして「仮説←→検証のグルグル回し」をしていく、というものなので、個々の思考力、分析力、アイディア創出力、知識力がよく分かる。コンサルティングファームにとっては高コストだがEvaluationとしては最適のリクルーティング法なのであろう。

前述の通り私は「所詮自分は国内、海外トップスクールの学生とは住む世界が違う」と思っていた。このファームのインターンに良くも選ばれたな、とビックリしていたほどである。初日では彼らのブランド・キャリアに圧倒されていたが、実際のプロジェクトが始まって彼らと議論する中で、自分の総合力は少なくとも彼らと同等以上であることを実感できた。これは大きな収穫である。国内スクールとはいえ、日本語でがっちり勉強してきた自分が知識力で負けるわけがないし、思考力、分析力にも引けを取らない。もちろん、5人の中での比較なので思い上がるのも危険だが(笑)、少なくともこのファームにインターンの選抜をされる、ということはそれぞれのスクールでも「cream of the crop」であった訳で、多少の自信を持っても良さそうだ。また、意外と「お勉強」も役に立つのだ。ミクロ経済学の基本的な考え方はやはりMBAには必須であろう。

ただ、彼らと私の最大の違いは、ギリギリまでレバレッジを掛け(借金をし)、世界各国から集まってきたエリートどもと母国語でない英語でアウェーで戦って勝ち抜いているという自信と、その戦いの中で、日本国内では絶対体験できない貴重な経験を彼らは持っているという点である。これはかなり大きな差であり、自己の努力で埋められるものではない。国内スクールに通う私としては、せいぜい”お勉強”を頑張り、英語で負けないように研鑽する、ことぐらいしか出来ないのは哀しいばかりである(他に何が出来るか真剣に考えてみる必要はありそうだ)。


で、あとはオファーが出るのを待つのみである。ま、期待をせず待つこととしよう。

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-追記-
無事、オファーを受け取った。大学院進学の目的は一応達成。良くやった、ということだろう。
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by SONZUKA | 2009-08-11 15:10 | 日々雑感
最後の山場であるTOEFL受験をトイレを我慢しながら何とか終了させ(…)、こちらでの予定は全て終了、いよいよVancouverもあと残すところ1.5日となった。さすがに3ヶ月住んだVancouverについて何も書かないというのは不自然なので少し書いてみたい。

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こちらに来た当初は、日本と全く違う環境にいたく感銘を受け、こういう環境で生活できればさぞかし幸せだろうな、移住したいな、などと単純に考えたものだが、私にとってVancouverはやはり退屈であった。カナダでは国内第三位の大都市だとはいうものの人口200万人ちょっとの規模であり、いわゆるシティーライフを満喫するには小さすぎるのだろう。New York City、London、Parisと旅行した後だからなおさら退屈に感じるのかもしれない。

確かに街は美しい。English Bayから見た夕景やStanley Parkから望むNorth Vancouverなどは本当に美しかった。また、2010年に開催される冬季五輪の影響か、街は建設ラッシュ、新しいマンションやホテルなどが忙しく建設されている。

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ただ所詮(笑)200万都市であり、Winter Sportsに縁のない私には退屈極まりない。ただ退屈だ退屈だと書いても仕方の無いので、今特に感じることを備忘録的に。

①カナダ西部のBritish Columbia州最大の都市であるのだが、ビジネスマンのスーツ着用率が低いからか、Businessの匂いが極めて薄い街である。Activeに働いている(いそうな)所謂ビジネスマンを殆ど(全く)目にしない。私が通った学校はビジネス街の真ん中にあるとのことだが、ビジネスマン特有の緊張感が街中にいても全く感じられないのである。これは今も不思議に思うことである。要するに、カナダという国家は何を糧にメシを食っているのか。

②ホームステイ先には20歳の一流大学に通う女の子と17歳の高校生の男の子がいるのだが、私が理科系出身だと言うこともあり、数学を教える機会が何度かあった。当初は英語圏の一流大学生にいくら理科系とはいえアジア圏の三流大卒の私が数学を教えるなどとんでもない、微分なんてすっかり忘れたぞ、とビビっていたのだが、その宿題のレベルを見て驚いた。日本で言うと中学3年生でも解けるレベルの問題に頭を抱えているのである。また高校生の男の子には日本の中学2年生のレベルの数学を教えたのだが、分数の加減乗除はおろか九九すらも怪しいというレベル。「1.5÷2」を計算するのに計算機を使おうとする始末である(彼のカナダ国内でのレベルは知らないが)。よく言われることであるが、日本の高校までの基礎教育のレベルは極めて高いと痛感した。ただ、歴史や哲学など所謂Liberal Artsについてはかなりしっかり学んでいるようで、極東の我が国の歴史などについてもかなり正確な知識を持っていた。学問の力点の置き方が違うのかもしれない。

③こちらで全く買い物をしなかったものの、ノートやシャーペンの芯などの学用品は少し購入した。驚いたのは品質の悪さである。日本にいるときは、学用品の品質なんぞ気に留めるわけもないのだが、こちらではそうも行かないのだ。特にヒドイのがシャーペンの芯。容器があまりにも雑に作られているため(プラ型の作りが酷いようだ)、芯が蓋から出てしまい筆箱がシャー芯だらけになる上、芯の直径の精度が低く、ボキボキ折れまくるという代物(シャーペンの芯はマイナス公差で出来ているはずだがマイナスへの振れ幅が大きすぎるようだ)。シャー芯の消費量はすさまじいものとなった。日本ならクレームの嵐、即刻回収となるだろうに。

こんなカナダだが、一人当たりのGDPは日本を上回る(加$40,010 vs 日$38,930。"The Economist"より)。なんと悲しすぎる事実であろう。確かにOECDやG8のメンバーであり世界で最も裕福な国の一つに数えられる国ではあるが、私という歪んだフィルターを通ったとはいえ、①~③の事実から、何故この国に日本が負けるのか理解できようか。確かに天然資源や広大な国土に恵まれたカナダと、カナダの4%弱と狭く天然資源にも恵まれない国土に、4倍の国民がひしめきあう我が国とでは、そもそものポテンシャルが違う。生きるために必要なエネルギーや食料を海外から購入しなければならない日本と、それらを輸出できるカナダ。同じ労働量/効率でどちらが余裕のある暮らしが出来るか、答えは明白である。だがしかし!歯がゆい、悔しい、情けないといったネガティブな感情がミックスした気持ちになる。

米ドルと同じレートになったカナダドル、カナダ経済は好調だとのこと。一方、我が国日本。GDPの順位は凋落し続け、国家財政は破綻寸前、一刻の猶予も許されない時期にあるはずなのだが、政権を担い半年が経つビジョンを示せない首相や、「もはや経済は一流と呼ばれる状況ではない」とまるで他人事の発言をする大臣にも怒らない日本人。国家の行く末を市民自らが考え統合させ、意思を決定する民主主義のシステムは日本人が扱うには重すぎるのか。

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と、悩んでいるうちにトイレに行きたくなってきた。兎に角、さよなら、Vancouver!
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by SONZUKA | 2008-03-15 08:57 | 日々雑感

Paris(3/3~3/6)

3月3日にLondonはSt. Pancras駅からEuroStarに乗って、ドーバー海峡を越えParis・Gare du Nord駅に向かった。超特急EuroStarの窓から見るFranceの光景は「フランスってやっぱり農業大国なんだ」と痛感する広大な畑がParisまで続く。

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今回、New York Cityこそがベストと旅を企画し、LondonはHeathrowを降り立ち地下鉄に乗った直後からLondonがMy Bestの座を乗っ取った訳で、Parisには正直言って深い思い入れが無かった。これは旅行後も変わらない感想である。

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旅行前はParisが一番美しくFashionableな街、かつ美食の都というイメージであったが、到着直後から丸三日間街中を徒歩で歩き回り、地球の歩き方を一応制覇した(自己評価している)結果、New Yorkほどエネルギーに満ちあふれているというわけではなく、Londonほど洗練されている訳でもなく、なんだか中途半端なイメージとなった。Londonは行くところ全て繊細かつ小綺麗なイメージがあったがParisは観光スポットや著名な大通りを除けば大して綺麗なイメージを持てなかった。地下鉄はNew Yorkより汚かったし。

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また美食の都なので、グルメを思い切り堪能すればParisの印象も変わったのかもしれないが、無職が今後二年以上続く予定の私にとってこれ以上の散財は不可能であり、街のビストロ的なところで夕食を摂った。これはまあまあ美味しく、費用対効果の面でも納得できるものであった。特に牡蠣が美味かった。

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というわけで、2週間にわたる旅行の最後の山場であるParisでは牡蠣が美味かった、という印象しか残らず残念である。まぁ2週間巨大かつ壮麗な建造物や見知らぬ文化に触れ続けた私の受容体に耐性が出来てしまった(いわゆる「タキフィラキシー」というヤツですな)のかもしれないが。ということでこの旅行記はくれぐれも参考にされることの無きように!(まぁ誰もしないでしょうが…(´。`))

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by SONZUKA | 2008-03-06 11:03 | 日々雑感

London(2/29~3/3)

2月28日、19時にJFKを起ち、翌朝早くLondonのHeathrowに降り立った。当然Londonといえば、The Beatlesである。早速地下鉄に乗りAbbey Roadに行き、世界で一番有名な横断歩道で例の写真を撮影した。

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Londonの滞在は丸三日、しかもそのうちの一日は諸事情で観光地巡りが出来なかったため丸二日しか無かったものの、精力的に歩きまくり、地球の歩き方に掲載されている観光地は一応概ね訪問できた(つもり)。何しろ地下鉄に乗るのに7~800円もするので、貧乏な私にはひたすら歩く以外の交通手段は無かったため、晴天に恵まれて本当に良かった。

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旅行の前はとにかくNew Yorkに行きたくて、London、Parisはどちらかというとプラン拡大に伴って付加された街であったため、Heathrowを降り立ったときJFKの時ほどの興奮は感じなかった。まぁ朝早かったと言うこともあるのかもしれないが。そんなLondonだが、結論から言うと、Londonが今回の旅行で最も感動した街であった。大英帝国の歴史の重みや伝統を感じさせる重厚な街であるのにもかかわらず、古さが全く感じられない。重厚な街にLivelyな人々の生活が息づいている街、そんな印象を受けた。

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イギリスというとかつての大帝国だが、覇権の座を米国に譲り今は斜陽にある老国家、イラク戦争では(日本と競って)アメリカの○ツを舐めた国、大した産業も無くCityでの金融と北海油田の石油で生計を立てているのか?、しかもメシがマズイ、イケてない国というのが私の渡英前のイメージ。ポジティブな印象は良いスーツと靴メーカーがたくさんあり(笑)、BeatlesやEric Claptonなどを生み、Rock musicではアメリカと覇権を争っている、程度でしかなかった。せっかくNew Yorkにまで行くのだし、近くのLondon(決して近くはないのだが)に寄ってるのも悪くはないか、そんな気持ちでItineraryに付け加えたのがLondonである。まぁAbbey Roadに行ってAbbey Road Studioを見て横断歩道で写真を撮りたいとは予てから思っていたのだが。要するにLondon=Beatlesと靴、が私のイメージで、まあボロクソである。

イメージとは恐ろしいもの。Heathrowを出て最初に向かったのがAbbey Road。地下鉄の窓から見えるLondon郊外の美しさにまず心を奪われてしまった。地下鉄の駅も列車も日本と同じく機能的でありながら独特の重厚感とPopなセンスが感じられるもの。Abbey Roadの最寄りであるSt. John's Wood駅を降り、Abbey Roadまでの街角の美しさ。普通の人たち(住民はもちろんRichな方々でしょうが)の生活の息づかいと歴史と伝統がこぎれいに見事に同居している街であった。私の興奮は一気に高まったことは言うまでもない。

この美しさは何もAbbey Road周辺だけではなく、London市内をかなり歩き回ったがどこに行っても同じように美しい。これには本当に参った。New Yorkのセントラルパークに行ったときはその大きさに驚き、春か初夏に来れば緑が綺麗だろうにと思ったが、LondonはRegent's Parkでは背後に見える重厚感ある美しい建物と(緑はないものの)豊富な植物と水辺の配置、息づく動物たち、ランニングや散歩をする人々が織りなす美しさにただただため息であった。こんな公園が近所にあれば毎日ランニングするのに、である。

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またLondon人のオシャレなこと。若者だけではなくオジサンもオシャレ。寒いにも関わらずこざっぱりとシャツとニットのベストを着て短めのピーコートかツイードのジャケットを羽織り、ジーンズと革靴をはく、というオシャレさんをたくさん目にした。London人は食より酒に興味があるようで、街の至る所にイケてるPubやClubがあり、18時を回ると店の外まであふれ出し立ちながらビールをグビリとやるのがLondon人の典型であるようだ。これも酒好きの私にはたまらなく魅力的であった。

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ただ、難点を挙げるとすると、食事がマズイというステロタイプな評判はやはりTrueのようである。もちろん、代表的なイギリス料理であるローストビーフやFish&Chipsは食したが、可もなく不可もなく、という感じ。「Londonで一番美味しいのは中華街の中華料理」というブラックジョークがあるようだが、Londonの中華街は決して大きいものではなく、むしろLondonのレストランで主流なのはインド料理であるとキメ打ちしたい。インド料理のレストランの軒数が尋常ではなく多いのである。今回の旅行で私の中で移住したい街ランキングの堂々一位に輝いたLondonではあるが(笑)、仮に実現させたとしても美味い物好きの私にとって食事の問題は何とかクリアさせる必要がありそうである。自分で料理する以外なさそうなのだが料理の出来ない私にとってはなかなか障壁が高い。もちろん第一の問題はFinanceだが。
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by SONZUKA | 2008-03-03 03:34 | 日々雑感
VancouverのFlight Centreという旅行会社の前を通るたびに気になって仕方がなかったのが航空券の値段を示す看板であった。看板には「Tokyo:$ 000」「Sydney:$ 000」というRoundtripの航空運賃が示されてある。その中にはHong KongやTrontoなどに混じり当然、New YorkやLondonなどかつてより憧れてやまなかった都市の名前もあり、それを見るたびに、今自分はVanvouverに居り、しかもここはアメリカやヨーロッパの近くなのだと感じ、機会を設けてLos AngelesかNew Yorkに週末を利用して行って見たいな、と思っていた。

ところがひょんなことから、ちょっとしたお出かけが本格的な旅行へと大幅に企画変更となった。2月23日にVancouverを起ち、NYC→London→Paris→NYCと欧米三カ国を巡り2週間後の3月8日にVancouverに帰るという大旅行になってしまった。飛行機のチケットのみを購入して、気ままに旅行するというのはパック化された旅行会社の商品を買うのとは違い、出費がかさむ。なによりも語学学校を2週間休んでいくという、本来のVancouverに来た目的を無視してしまうことに若干躊躇はしたものの、2週間の気ままな旅行は人生最初で最後かもしれないと自分を納得させ、決行させた。

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New Yorkと言えば文化やスポーツ、経済の当に世界の中心であり、音楽好きはNew Yorkと聞くだけで、それぞれ特定の音色を思い浮かべるだろう。もちろん私にとって、New Yorkとは現代音楽のメッカであり、New York Soundと聞くだけで腰が疼き目がハートになる当にあこがれの街である。「Cool」という言葉が何よりもどこよりも似合う街。街を歩き空気を吸うだけで少しだけCoolになれるのではないかと妄想していたのだ。

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実際、丸五日マンハッタンの同じホテルに滞在し、北から南まで歩き尽くし、地球の歩き方に載っているめぼしい名所はほぼ制覇してしまった。おそらく80km近くは歩いたのではなかろうか。自由の女神、ハーレム、ウォール街。WTC跡地、セントラルパーク、国連本部。Madison Square GardenでNew York NicksのNBAの試合を見、ハーレムのソウルフードのレストランで黒人達と食事をし、Peter Luger Steak Houseで名物T-boneステーキを食べ(二回も!)B.B.King Blues Club&GrillでSteelin' Danというシニカルな名前のSteely Danのコピーバンドを楽しんだ。初日の夜JFKに着き、New Yorkの夜は怖いのでバスを使おうかそれとも地下鉄にチャレンジしてみようかと逡巡していたのが、最終日にはそれが嘘のように当たり前の顔をして黒人に混じり地下鉄に乗れるようになった。

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お世辞にも親切だとか綺麗だとは言えない街。古い建物を壊さないで活用している点は日本も見習うべきだが、道路の舗装はボコボコ、街はゴミだらけ。地下鉄の表示は不親切、店員の接客態度は酷く冷たい。電話を掛けようと公衆電話に行くと25¢しか入れられない電話機で1ドル入れろと請求され、25¢コインを四枚入手するのに一苦労する街なのだ。かゆいところに手が届く日本に住む私には「?」がグルグルアタマを巡る、そんなNew Yorkだが、強く印象に残ったことを二つ、備忘録的に書いてみたい。

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①初日、JFKに20時に着き、ホテルに入ったのは22時過ぎとなったので、夕食を摂ろうとホテルの隣の日本料理屋で軽くすましてしまおうと考えたのだが、23時で閉店となってしまうとのことなので、ホテルのクラークに勧められた日本食レストランに向かっている途中、「Jazz」という看板を発見、覗いてみると23時からステージが始まるという。「Jazz Standard」というClub。

DrummerがLeaderでBass、Piano、PercussionとSax、Trumpetという理想的な編成のバンドだったので入ってみることとした。客の入りは8割弱と言ったところで、老若男女がごくごく自然体で音楽と食事を楽しみに来ている雰囲気がとても心地よいClubであった。ステージ真横の席には老紳士が陣取っており、渋いClubに華を添えていた。演奏が始まり、飛行機での疲れと空腹で飲んだアルコールが触媒となり、当に最高の気分。数曲終わったところでバンマスであるDrummerがマイクを取り、スペシャルゲストを紹介した。そこで出てきたのがステージ真横の老紳士である。足下もおぼつかないその老紳士は、同伴の女性に支えられながらよたよたとステージに上がり、愛用のTenorSaxを重そうに首につるした。そこで始まったのがスローテンポのバラードであった。その柔らかな音色、濃厚なフレーズ、大きなリズム。

老成とか熟達とか円熟とか、日本語で説明が出来ないのが悲しい限り。やはり現代音楽は欧米人の文化なのだ。日本語で説明できないのだから。英語を借りて説明するとCoolの一言で事足りる。当にCoolという言葉以外に適した表現が見つからない。このバラード以外にもアップテンポの曲を若いメンバーと共に演奏してステージを降りたこの爺さんは当にCoolであった。こういった年のとり方をしたいと痛感した夜だった。

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②マンハッタンを北から南まで歩き尽くしたので、旧所名跡をスポット的にバスで巡るパッケージ化されたツアーでは味わえないDeepなNew Yorkを体験できたと思う。New Yorkは人種のるつぼ、という表現はベタすぎて使いたくはないのだが、当にその通り。あらゆる人種が蠢いていた。それがNew Yorkの活気の源なのだろう。BroadwayもHarlem、Wall Street、China Townも活気に充ち満ちていた。確かに活気に満ち溢れてはいるのだが、よそ者の私には何となく排他的というか、他を受け入れない雰囲気があった。何となく緊張感も感じた。渡辺美里の「Flower Bed」というアルバムの「冷たいミルク」という曲に「一年のここの暮らしにも何とか少しは慣れてきた」という一節があるのだが、本当にNew Yorkの暮らしに何とか慣れるには1年くらい掛かるかもしれないと思うほどである。

3月6日にParisのCharles de Gaulle空港をNew YorkのNewark空港に向けて出発したのだが、飛行機はインド発Paris経由Newark行きのAir India便であったため、インド人だらけ。しかも殆どがインドからの乗客であるようで皆疲れている様子であった。私の隣は足が悪いインド人の老婆で、リウマチが原因なのか、膝の手術をしたと私に傷跡を見せてくれた。インド人でしかも老婆なのに英語が話せるんだ、と感心していたら、飛行中はその老婆に今何時だ、あと何時間で着くのか、今はどの辺りを飛んでいるのか、など質問攻めにされた上、老婆が動くたびにテーブルの収納を手伝ったり機内食や水を手渡してやったりとほぼ付き添いの介護人状態。やや閉口気味だったのだが、これも何かの縁だろうと割り切ってお世話をすることにした。

ようやく着陸が近づき、ふと老婆を見てみると、彼女は窓から大人しくNew Yorkの街をじっと見つめていた。静かになってこりゃ幸いと思ってビデオを見ていると、老婆の質問が始まった。「今はどの辺りか?」「New York上空です」「ここで降りるのか?」「そうです、終点ですから」「空港では何を見せればよいのか?」「入国の紙とパスポートです」。ふとパスポートを見るとそれはアメリカのパスポートだった。彼女はインド系のれっきとしたアメリカ人だったのだ。そりゃ下手ながらも英語が話せるはずである。この老婆はおそらくインドに里帰りをして、その帰りであったのだろう。当に「人種のるつぼ」の中の一人であったのだ。

そのアメリカのパスポートを見てから「老婆は若いころ希望を抱いて祖国を出たのだろう。どこかよそ者を受け付けない雰囲気のあるNew Yorkで色々辛いこともあったに違いない。それから数十年経っても英語もままならない老婆はおそらく異国の地・米国の狭いインドのコミュニティーで人生の殆どを送ったに違いない。この老婆にとって最後の里帰りだったのかもしれない。今どのような気持ちで眼下の街を眺めているんだろう」と勝手に想像力を逞しくしてしまい少し悲しい気分となった。Vancouverに来た当初、単純に海外に移住することに憧れたりしたが、祖国を離れ異文化の地に暮らし生涯を終えることが如何に困難か、祖国の存在が如何に自分にとって大きなものかを強く認識した出来事だった。

(写真は順不同です…)
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by SONZUKA | 2008-02-28 06:42 | 日々雑感

お馴染みのMy Resolution

(Vancouver Public LibraryのそばのBlenzにて。YouTubeでMarcus Miller - Live Under The Sky '91のライブを見ながら)

今は21日のちょうど16時である。早いものでVancouverに来て丸二ヶ月が経過した。Vancouverでの生活は残すところ10日弱となった。改めて考えると30を過ぎて会社を辞め、三ヶ月も海外で語学留学をするとは贅沢の極みだと思う。

肝心の語学の方はというと、やはり楽器やダイエットと同じく、三ヶ月ばかりではどうにもならないと言うことを痛感した、というのが主な成果となりそうなのが悲しい限り。先生が教室の中でNativeのスピードで話す英語はほぼ正確に聞き取れるようになったが、Discussionの中で流暢に自分の考えをアウトプットできるレベルにまで到達させるには、気の遠くなる努力が必要となりそうだ。日本語話者が全く異なった言語系統に属する英語を話すというのはやはり相当な努力が必要なのだ。

これは韓国人においても同様で、英語に掛けるコストと時間は日本人の想像を絶するものがある。高麗大学など韓国の超一流大学では十年ほど前から授業の半分以上を英語で行い始めたのに従い、高校での英語熱は高まる一方だとのこと(大前研一によると)。しかも、就職においてはTOEICでのハイスコア(800とか900とか)が必要条件になっているらしく、私の通う二つの語学学校では半数以上が韓国人である。カナダが二カ国目の留学で1年間滞在する予定です、なんていう強者(?)も珍しくない。一人当たりのGDPが半分程度の韓国の人たちにとって英語に対する投資はかなり大きいと言える。また次期大統領の李明博が小学校から全ての科目を英語で教えるという打ち出しているとのことで更に拍車が掛かるだろう、との韓国人の友人談である。

こと英語についてはすでに韓国に大きく後れを取っている日本だが、果たして日本がこういった政策を採るべきか。英語のエスペラント化はビジネスにおいても学問においても一層進んでいる。それに加えインターネット上の情報の9割は英語であるという。今やネットを使いこなす能力はごく当たり前のリテラシであるから、ビジネスや学問とは無縁の人たちにとっても英語はエスペラントとなった。

しかし海外で一年間ホームステイをして語学を学ぶというのは時間とカネの浪費であろう。学費と生活費で300万円程度の費用を海外で支出した上、貴重な一年間を語学と遊びに費やすというのは一個人においても国家にとっても大きすぎる代償である。国民が英語を使えるようになるために必要な教育を国内で提供する方法を考えるべき時期はとうに来ているのかもしれない。

自分の現状を棚に上げて書き連ねてみましたが、それだけ英語習得は重要で大変だということ。帰国後は毎日15分のNHKラジオ講座を【継続する】ことから始めよう。このお馴染みのResolutionをブチ上げるのはこれを最後にしたいものである。
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by SONZUKA | 2008-02-22 09:04 | 日々雑感