「糸巻き」に汚染された人間が浄化されていく様


by SONZUKA
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George Benson「In Your Eyes」

George Benson「In Your Eyes」。最近何度目かのベンソンブーム。

大学3年の冬、就活にて日清紡の西新井にある工場に行ったとき、西新井の駅ビルにある新星堂で購入したアルバムである。殆どのアルバムは何所で購入したかなどは全く記憶に無いのだが、このアルバムだけは鮮明に覚えている。ナンデカナ…。
昔のシンセは使われてはいるが、20年経過した今になると、古さを感じない音となっている。10年前のシンセは今から見るとかえって古臭く感じる事がある。不思議。まぁギターではなくボーカルで売り上げ増を図った下品なアルバムとも言えるが、そのpop感は非常に心地よい。ギターで特に挙げるものはないがアクセント的に簡素なソロを弾くといった感じ。2曲インストはあるが。

1曲目「Feel Like Makin' Love」。名曲のカバー。ディスコティックなアレンジでキメテいる!!Steve Ferroneの一番得意なパターンが聴ける。これぞフェローニ節である。また、今となっては新鮮にも聞こえるバリバリのシンセベース。プログラミングではなく、手で弾いているのだろうが、凄いグルーヴ。フェローニと良くマッチしているな。b0045164_2213310.jpg
3曲目「Lady Love Me(One More Time)」。Jeff Porcaroお得意の片手16ビートが聴ける。柔らかな16ビート。ドラマーによってグルーヴのみならず、曲の色合いも本当に変わる。後半の3度にわたるベタな転調が盛り上げますね。
6曲目「Never Too Far To Fall」。いかにも80年代チックなシンセベース。1曲目と同様凄いグルーブですな。ウネリまくり。Ferroneの軽いタッチの16が聴ける。
8曲目「Use Me」。一番好きな曲。自殺したCarlos Vegaのドラム。サビまで2回転調し、サビ後に1回転調、実に盛り上げる。サビでのWill Leeのベースも実にかっこいい。音数は少ないのだが隙間を縫うようなライン。日本人では弾けないのでしょうか。
9曲目「Late At Night」。女性ボーカルとのデュエット。エロチックなバラード。歌詞も卑猥な、痴話喧嘩が内容。これを実にドラマチックに、デュエットで叙情的に歌い上げる。日本語ではありえないね、いずれにしても。本場の奥深さを感じます。
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by SONZUKA | 2004-11-30 22:01 | 音楽
「華氏911」と「父の祈りを」を観た。あと「チョコレート」なるラブストーリーも。ついでにサンタナのライブDVDも借りてきた。サンタナは録画して観よおっと。

「華氏911」
イラクに送られた映画のなかのアメリカ兵青年は、「イラク人は悪者だ、人を殺すのが気持ち良い。ロックを聴きながら動く人を肉眼で見、銃を撃つのは興奮する。これは正義なのだ」という。
アメリカ兵は、イラク人の家に侵入し、両親が「息子はただの学生でテロとは無関係、何故ショッ引くのだ」と嘆き、喚き、抗議するが彼らは聞く耳など持たず逮捕していく。


「父の祈りを」
IRAによるイギリスのパブ爆破事件の冤罪を着せられたアイルランド人チンピラ青年の話。
イギリス中がテロに怯えている中、警察は事件付近にいたということで逮捕拘留したアイルランド人のチンピラ二人に自白を強要する。刑事の暴力により二人は自供してしまい、冤罪を着せられ、そのため家族親戚も警察がでっち上げた罪で逮捕され、懲役刑に処せられる。

一つ興味を引いたのが、初審と冤罪を晴らすための第二審での聴衆の反応の違いである。
初審の法廷では、聴衆は彼らに物を投げ、口汚く罵る。
冤罪の疑いが出始めて、無実を晴らそうとするムーブメントが起っているなかでの15年後の第二審での法廷では、彼らは大声援で聴衆に迎えられる。

この二つの法廷における聴衆の反応の違いは、目を向けたのが「事実」であったか「権力(とそのプロパガンダ)が作り上げた『真実』」であったか、から来るのだろう。

事実を知ることは難しい。事実を知るためには我々大衆はマスコミ、インターネットを頼る以外に手段は殆どない。権力に隠蔽されているものは多い。情報公開が進んでいるアメリカでもそのようである。
「在り物を在りだと捉える考え方」では、権力者やそのプロパガンダ、マスコミなどの報道を真っ正直に受け止め、彼らにコントロールされた情動しか我々大衆は発現し得ない。玉石混合のマスコミ報道や出版物に対して「在り物を在りだと捉える考え方」では「事実」を知ることは出来ない。
一つの事象にはいくつもの側面があることを頭では理解していても、それを実践することは私のような凡人には難しい。「在り物を在りだと捉える考え方」は危険であると頭に止め、第一印象や好き嫌いなどの自分の指向と違った物の考え方・捉え方があるのだと自分を戒めること、その積み重ね以外に何か良い手段があるのだろうか。「真実」と「事実」の違いを忘れてはならないな、という感想を持つに至った。新聞に書いてあるホンの小さな首相談話記事も、テレビで笑うヨン様も「在りだ」と捉えてはいけないのである。

「父の祈りを」は弟の推薦で観た。重い良い映画だったが…ただ、使われている音楽が、映画の「アイリッシュ色」を強調するために、U2やシンニード・オコナー、ケルト色の濃いBGMがバンバン使われたのが少し萎えた。イギリスの刑務所ではツェッペリンのポスター。「そこまでせんでも」感は拭えなかった。個人的には。
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by SONZUKA | 2004-11-28 23:23 | 日々雑感
クラシックと現代音楽との違いを考えてみた。クラシックを演っているA君と食事をした。その際に、音楽論に話題が移ったのだが、冷静に議論できなかったのを反省したのである。お互い平行線に終わり有意義な議論とならなかった。多少のアルコールの所作??

端的に言うと、クラシックはライブに勝るレコードはあり得ないが、現代音楽はそうではないことがその原因だという結論を出した。

クラシックは、どのレコードもライブを録音したもので、レコードはどんなに秀逸な録音技術を以ってしても、どんなに優れた再生機器が出現しても、ホールで聴く生演奏には勝てないとのこと。

しかし、現代音楽はそうではない。乱暴に言うと、「ライブとレコードは別物で、優劣は存在しない」のである。

もちろん、スタジオ録音よりもライブの方が遺憾なく実力を発揮できるアーティスト(グループ)がいるし、その逆もいる。例えば、The Beatles。彼らはレコードにおいて実力を遺憾なく発揮したアーティストの代表である(もちろん生で見たことはない。ライブを「録音したレコード」でしか彼らの「ライブ」を知らないので、厳密な意味での評価は私には出来ないのであろうが)。
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初期の一発録り(に近い)「Please Please Me」や「With The Bealtes」の、粗野で荒削りではあるが爆発的なPowerは凄まじいものがある。粗野な中にも「Anna(Go To Him)」や「Baby It's You」におけるJohn Lennonの艶っぽい、色っぽいヴォーカル、「I Saw Her Standing There」や「Twist and Shout」のグルーヴ感などは語りつくせない魅力はある。しかし、彼らの真骨頂、Rock・Popsを芸術の域にまで昇華させた結晶は「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」や「Abbey Road」であろう。4人編成の彼ら(一部でセッションマンやGeorge Martinが演奏に参加してはいるが)が、バンドサウンド・クラシック・SEや画期的なテープ操作(当時のMTRは4トラックしか無かった!!)を駆使して、「録音」でしか再現し得ない、One&Onlyかつ人類史上初の「レコード芸術」を作り出した。彼らはこの当時、ライブでは自らの溢れんばかりの才能・アイディアを結実させる事は出来ないと「ライブ卒業宣言」をした。最早彼らは所謂「バンド」から卒業したのである。この「音」は生演奏では再現できない(蛇足的に言うと、発売当初は悪趣味で守銭奴と化したかと良からぬ想像をもたらした「Anthology」シリーズのお陰で、完成品の「宝石」が作り上げられていく過程を知る事ができ、ワクワクドキドキする気持ちも味わえた)。この種のアーティストには、他にSteely DanやLed Zeppelin、など枚挙に暇が無い。
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また逆に、ライブでこそ真の実力を発揮するアーティストもいる。私の好きなギタリスト、Eric Claptonなどがそうであろう(→Eric Clapton「24 nights」。クラプトンには他に優れたアルバムがあるだろうが。一番リズムが黒かった時代が90年頃。Steve Ferrone,Nathan East,Greg Phillinganesというコユい面子!)

まとめてしまうと…。ライブにはライブでしか味わえない、アーティストと観客が一体となり作り上げる熱気・グルーヴ・soloistが繰り広げるspontaneousなimprovisationが捨てがたい魅力。レコードにはレコードでしか味わえない、楽曲やメロディを引き立てるための緻密な演奏・楽器が奏でる繊細な音色が魅力。この二つを味わえる「現代音楽ファン」である我々はなんと幸せなのであろう!!

A君、これでどうでしょうか?反論(笑)お待ちしております。
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by SONZUKA | 2004-11-27 21:59 | 音楽

千里の道も…

今日の音楽。
Finis Henderson「Finis」を聴く。この人、comedian(お笑い芸人)らしい。昨日、波田某のシングルがオリコン5位にランクしたことを書いたが、この方もお笑い繋がり。ふと聴きたくなってi-Tunesで再生した。

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(←←この酷いジャケット。気分が悪くなる。とてもマトモな感覚ではない。これはお笑いの感覚(アメリカン・ジョーク)のつもりなのだろうか。)



Al McKayがプロデュース。ヘェ~。お笑い芸人を支える面子が凄い!
  Drums:Jeff Porcaro,Carlos Vega,John "JR" Robinson
  Bass:Abraham Laboriel,Neil Stubenhaus,Nathan East
  Guitar:Al McKay,Paul Jackson,Jr.,Steve Lukather,Michael Landau
最強の布陣。捨て曲が無いアルバム。Popsにおけるギターのバッキングのあり方の勉強になりますな。特にJeffファンとしては、3曲目の「Lovers」に注目したい。曲ごとのクレジットは無いが、この3連のグルーヴ感、ハイハットオープンのニュアンスは間違いなくJeff。このパターンは彼本当に得意としています。やはり、少し後ろ気味のタイム感は彼”One&Only”、当に”Jeff印”であろう。この曲のベースラインも好き。これが掛かると思わずベースを持ってしまう。
主役のお笑い芸人、ファイナスは、というと…。凄いのである。ファルセットが美しい。AOR臭満点の歌手。上手い。気持ち良い。この1枚しかアルバムを出していないのは何故なのか…日本のAORファン以外からは注目されていないのでしょうか。しかし、お笑いにしてこの実力。アメリカの音楽の奥深さは本当に凄い。日本で彼ほど歌える「プロ歌手」は一人も居ない。まぁ、アメリカにおいてもかなりのレベルなのだろうがね。

今日は、人生の転機といっても良い日であった。辞意を上司に伝えたのである。
いとも簡単に、あっさり了解をもらってしまった。「辞めるなと言っても辞めるでしょ?」ということらしい。
1年前に転職を考え上司にその旨を伝えた時はトータル20時間の説得があり、その上で自分の志向を冷静に評価した結果、転職をあきらめたのだが(とてもブサイク…)、それと比べると今回は1/20の短時間で辞意を受け止められた。
まぁ、そんなことはどうでも良く(?)、一つ再確認した事があった。

1年前に辞意を伝えた上司と現在の上司の違いである。この二人には悲劇的な能力の差がある。

今日辞意を伝える面談にて初めて理解した、現在の上司の考え方とは、
「なるようになるし、なるようにしかならない。だから、敢えて考えることや頭を悩ませることをしない」
ということである。
1年前に辞意を伝えた上司の考え方は、
「自分の力で物事をあるべき姿に変えなくてはならない、自分に知らないことがあってはならない。そのために何らかの行動をすべきである」
ということである。
同年代で同じ経験をつんできたであろうこの二人に生じる差は悲劇的である。悲劇的な差があることは以前から否応なしに理解していたのだが、それが何所から来るかを今日再確認した。
「あるべき姿を思い描く想像力、それに近づこうとする実行力、それらを蓄積する継続力」

である。当たり前すぎて人様に宣言することでもないのだが、具体的に良いサンプルを見たのでそれを忘れないで置こうという気持ちを込めて書いてみた。ただ、これを毎日実行するのはなんと難しい事か。

私もご多分に漏れず日常の業務の中で、毎日色々な疑問が頭に浮かんでは消える。
だが、果たして私は、
 本来どうあるべきか想像しているだろうか?
 どうすれば理想に近づくか手段を考え実行しようとしているだろうか?
 それをあきらめずに毎日継続的に実行しているだろうか?
残念ながら、現在の私は「否」である。「どーせ今の会社は腐っていて、つまらなくて、どうせいつか辞めるから、そんなことは次の会社ですれば良いことなのだ」と考えていることに気付く。自分の弱さ、欠点に気付く。転職先では、このマインド無しでは恐らくやってはいけないだろう。甘えは許されないシビアな業務なのだろう。三十路を手前に甘ったれた自分を「強制終了」するには、実は「転職」という強引な手段しか私には残されていなかったのかもしれない。
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by SONZUKA | 2004-11-25 21:41 | 音楽と日々雑感

Everything "Must" Change

“ギター侍"こと、波田陽区のデビューシングル「ギター侍のうた」がオリコン初登場5位にランクインしたんだと。
こういう国。ホント、ヘコミます。日本人にとって音楽って大事なものじゃないのかぁ…??悲しい気分になりますね。

まあ、いいや本題。
George Benson「In Flight」を聴く。「Everything must change」が聴きたくなったからだ。これは数ある大好きなベンソンのアルバムのうちでも最も好きな一枚である(こんな名盤がたったの1100円で買える。輸入盤のお陰で。マンセー。前述の波田某のシングルが900円。萎えー。物の価値とは?)。
まず、録音が秀逸。愛用しているB&Wのスピーカーを買う時にも試聴用の一枚(生音が美しいアルバム代表)として使った。Al Schmittがいい仕事をしています。
楽曲はスタンダードが多い。それをベンソン流のアレンジ(Tommy LiPumaの仕事)で聴かせる。
・Drums:Harvey Mason(ロイク系(黒っぽいという造語…古ぅーー)Harveyの真骨頂。緊張感溢れる16ビートが聴ける)b0045164_22172615.jpg
・Bass:Stanley Banks(1曲目の「基本拍子の頭一発のルートと少しの装飾・経過音のみ」というあまり知らないベースが心地よい。少し手数(ゴーストノートの意)が多いドラムやクラビネットを意識してのプレイだと見た)
・Rhythm Guitar、Bass:Phil Upcharch(名手。ベースも2曲プレイ。6曲目の「Everything must change」のメロディックパターンはギタリストならではの手癖が出マクリ。ゴリゴリのピック弾きだ)

オーケストラのバックでどこか暗い、悲しい、哀愁の雰囲気があるアレンジ(哀愁と書くと演歌的だが、彼は本国ではAmerican ENKAと捉えられているのかも知れない…)。ベンソンのギターが光るのは3曲目、「The world is a ghetto」。神は何て不平等なんだろう。猛烈なギターソロとスキャットをユニゾンするという、当時全く考えられなかった超絶技を繰り出す。歌もギターも超一級品だからこそ成せる天才技。絶対音感とパーペキなリズム感を持つ彼のみのオリジナル。BassでNathan Eastがチョコチョコとパクッているようだが、醜いマネはよしなさい!


で、A君とお話をしている際に、「停滞は悪だ。全ては変わらなくてはならない」というテーマが出、ふと聴きたくなったのがこの「Everything must change」である。Bernard Ighnerの名曲。
すべては変わって行くのだ。すべては同じではいられないのだ。例外は、雲が雨を降らせること、太陽が空から照らすこと、ハチドリは飛び回ること、そして音楽が私を泣かせること。

よく歌詞を見てみると、「MUST」は「義務命令」ではなく「必然」なんですな。万物流転、パンタ=レイ、ということ。そりゃそうか。日々フンフン歌っていればそれくらい気付いても良さそうなのだが。でも、今の環境や精神状態だと、この「MUST」は義務命令に聞こえてしまうということなのだろう。悲しすぎる。

成長の無い自分に焦り、新しい環境へ自分を飛び込ませたいと念願し、変わらない退屈な仕事に嫌悪感を覚えている日々。また、新聞や雑誌を見れば自分の身の回りは刻一刻と着実に変化している。どうやら、変化についていけなくなった人を今までどおり養っていく余裕は国家にも会社にも無くなっていくことは、ほぼ間違いないようである。我々は非常に危うい世の中、時代を生きている。何を拠りどころにすれば良いのか日々悩み迷う。Ighnerは、「太陽が照らし、雲が雨を降らせる(のは変わらない)」と謳っているが、今は、それすら「変わらない」とは言い切れない時代。だからこそ、早く「Music makes me cry」と言い切れるような強い、強い価値観を持ちたいと願うのだろう。私にとって変わらない価値観は「音楽が私を泣かせること」くらい。非常に危うい状態である。
「The young becomes the old and myst'ries do unfold」と笑って言える老人に、果たして私はなれるだろうか。
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by SONZUKA | 2004-11-24 22:18 | 音楽と日々雑感
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And in the end,

The love you take

Is equal to the love you make.



The Beatlesの(事実上)最後のアルバム、「Abbey Road」の(事実上)最後の曲、「The End」の最後の歌詞である。敬愛するPaul McCartneyが書いたものである。27歳でこの歌詞を書いた。あえてメロディや楽曲については触れない。キリが無いから。(一つだけ言うと、このメロの後のGeorge Harrisonのギターのオブリガードが如何に素晴らしいか。トーンが如何に美しいか。この後の「Her Majesty」におけるPaulのアコギの巧さたるや!事実上最後のアルバムの最後の曲が「The End」であるという形式美たるや!!etcetcetc)。

物理学で言う「作用反作用の法則」である。シンプルで美しい。
別に「Love」に限定しなくとも当てはまる。
どれだけ「Input」するかにより、ハネッ返りの「Output」が決まると言うこと。
とても哲学的で、深い意味を持つことに最近気付いた。
あげるより貰いたい。受身の方が楽だ。正直な怠け者の感想。
でも、そんなに上手く、都合よく物事が進まないのが人生なんだ、とPaulは歌っているのである(こんなに「クサい」ことでもサラリと歌えちゃうのは羨ましい。Japaneseには無理だろうね)。

現状を愚痴ったり、批判したり、嘆いたり、悲しんだり。単純に未来を夢見たり。こんなのじゃ「イケナイ」と思いながらも楽なのでツイツイ、というのが本当のところ。
鬱というか、Depression(同義だな…)で気分が悪い時にはPaulのこの言葉を思い出そう、とただそれだけです。
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by SONZUKA | 2004-11-16 20:08 | 日々雑感
私のマンションはとても綺麗である。ちょいとした自慢でもある。
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今、転職が目の前なので、新居探しをしている(家賃と言うのは、非常に厳密に市場価値により決められていることに驚く。まぁ、それはおいといて…)。私のマンションが際立って綺麗なことに気付いたのは、新居探しのため様々な物件を見歩いているからである。(→この写真は全く無関係、単に文だけでは寂しいので載せてみました。Jeff Porcaro御大です)

マンションが綺麗といっても、部屋のことではなく、廊下や階段、玄関ホールやゴミ捨て場などのこと。綺麗なのは当たり前だと思っていたが、必ずしもそうではない、いや、むしろ、綺麗な方が珍しいようである。

私のマンションには、70歳くらいのおじさんが週3回掃除に来てくださる。私は、朝、出勤時に(社会生活を送る人間として最低限のマナーとして)小声で挨拶をするのだが、こちらをオソルオソル見るだけで声を発してくれたことの無い奇妙な方である。しかし、実に丹念に掃除をしている。廊下・階段・玄関ホールは週1回は必ず拭き掃除をしているので、いつもピカピカ。玄関ホールには、この方が育てられたと思しき菊の鉢植えが3つ置いてある(お世辞にも出来栄えは良いとは言えないが…)。玄関の植え込みも一応きちんと刈り揃えられており、週3回の燃えるごみの日は、ルールを守れない、社会生活を人並みに送れない「欠陥者」が出した無茶苦茶なごみもキチンと再分類し、きれいにまとめ、ネコが食わないように網をかぶせてくれるのである(おじさんが余りにも完璧なのを良いことに、滅茶苦茶なゴミの出し方をするゴミ人間が居る。ソファーや電化製品を平気で燃えるゴミの日に捨てたり、もっと「壊れたゴミ人間」になると、硫酸がたっぷり詰まった自動車用バッテリーを捨てたりする。こういう欠陥者を掃除してもらいたいな)。

何なんでしょう、この緻密さは、高い美意識は。まぁ、おじさんの仕事の代金は賃料に含まれているから、と言えば元も子もないのだが、ヨソのマンションではここまで綺麗に掃除されていないことを見ると、おじさんの性格によるのだろう。自分の仕事をきちんとこなし、住人が気持ちよく過ごせるように、という「想い」があるように感じる。転職という一大選択を前にして、常に「職とは?」「仕事とは?」「はたまた人生とは?」などと本人にとっては壮大な(?!)テーマを頭にめぐらせている私には、朝、マンションが綺麗に掃除されているのを見るだけで普段気にも留めない些細なこと(でも無いかな…)に感動したりする。実は、私はおじさんをちょっと尊敬の眼差しで見ているのだ。引っ越す時に何か恩返しが出来ればと思うのだが。管理会社にそれを託そうかと考えている。

N君とまたカレーに行き、彼は、この二日間哲学を学んでいるとのこと。レヴィ=ストロース「構造主義」というものを教えてもらった。「有り物を有りと考えない」思考とも共通しているように感じたので簡単な物を読んでみよう。
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by SONZUKA | 2004-11-11 21:25 | 日々雑感

またまた音楽の話。

昨日はA君とココスでお話をした。
取りとめも無い、毒にも薬にもならない話である。
仕事の話、マネジメントの話、他の社員の話、歴史、国際政治、芸術、音楽、お笑いetcetc。
こういう「クダラナイ」話が出来る人が私のそばに意外と居るのである。クダラナイ話の中で自分の考えがまとまり、新しい知識を拡充し、自分の意図を伝える訓練にもなる「のかもしれない」、「なればいいなぁ」。こういう場では、ありとあらゆる知識・情報が役に立つものだと痛感する。日経やフォーサイト、図書で読んだ知識はもちろん、以前友人から聞いた話や、ネット上のブログなどで読んだ話など。活字に目を通すことを継続する効用なのかもしれない。

そこで、音楽の話になった。
現代音楽と古典音楽の違いについて話したのだが、どうしても理解できなかったのが、ジョン・ケージの代表作『4分33秒』という楽曲についてである。以前、やはりクラシックを聴き演奏するN君からもこの曲について聞いたのだが、ナンでもこの曲、全てが「休符」なんだと。すなわち、一音も発しない曲なんだと。クラシックは、空間を共有することが重要だとのこと(これは、現代音楽でも当てはまり、優れた伝説的なライブアルバム、例えば、Donny Hathaway「Live」ではそれが体験できる。すなわち、観客と演奏家が一体となってグルーヴを醸しだすのである。空間の共有がなくしては生まれ得ないグルーヴがそこにはある)。
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しかし、である。あくまでも「音が無い」状態が休符である訳で、音と音の間の残像や、「溜め」というのは、音があって初めて成立する。そういう休符に関しては理解できるのだが、音が無い音楽というものはどうしても理解できなかった。音楽とは、聴覚のみで理解できるものだと思っている。この「曲」も聴覚だけで(目が見えない人でも)楽しめる、理解できるものだというが。観客が立てるホンの少しの雑音(呼吸音や衣服の擦れる音、ホールが共鳴して出てくる空気)を楽しむのだろうか。調べると、そのCDまでも発売されているという。
クラシックに関しては、ビバルディの「四季」くらいしかまともに聴いたことがない。生で聴いたのは、忘れもしない橋本市立城山小学校の3年生の時、集会室にて外人の夫婦の音楽家(ピアノとチェロ)が訪問して聴かせてくださった、「白鳥」(動物の謝肉祭)だけ。チェロの美しい音色と悲しい旋律に私は大いに感動して涙してしまい(同級生にはからかわれて大変であったが)、音楽で感動する最も初期の体験であった。クラシックに関しても少しずつ聴いていければ人生楽しめるな。
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by SONZUKA | 2004-11-09 16:45 | 音楽

音楽の話題

昨日、今日と仕事で終末が潰れてしまった。
月曜日は年次休を取り休んでやろうと企んでいたが、「会議」とやらがあるという。先週の月曜日(すなわち実働日で言うと4日前)月初めの会議をしているのに何故なんだろう。会議以降の3日間で新たな議題が発生したのだろうか?会議の前にはあらかじめ議題を提出してもらいその必要の是非を問うて欲しい。議題を出せ、といったとたん、たいした議題が無いことに気付き、会議が無くなるだろうね。

まぁ、書くのが何だか面倒なので、久しぶりに聴いた素敵なCDについて。
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Lee Ritenour「Alive in LA」というライブ版。大学時代、それほどFusionというジャンルを聞かなかった時に友人から借りて聞きだした最初のFusionアルバムかもしれない。あらゆるギターテクニックを使って流麗なプレイを聴かせてくれる。これを聴きだしたくらいから「ギターは歪ませないもの」というロッケンに喧嘩を売らんばかりの常識を持ってしまった。このアルバムが良くないのはベースの音色。余りにアクティヴアクティヴしすぎて嫌みったらしい。ハイが強すぎるんだよ。
Fourplayでのリトナーも大好きだったのだが、これは見逃してしまい、Larry Carltonになってから「Harvey Masonを見に行こう!」という不埒な(?)理由でFourplayを見に行った。この時は、Harveyにももちろん目を奪われたが、Larryがキテいた!!!とにかく凄かった!!!自分が生で見たギタリストの中で圧倒的にピカイチ!との評価をしてしまった。それまでは余り好きではなかったのだが。トーンのコントロールがとにかく完璧だった。鳥肌が全身に立ち、私は当に「恍惚の表情」を浮かべていただろう。で、Leeもブルーノートにソロで来たとき見に行ったのだが、これがビックリするくらいつまらなかった…。上手いのだが「??」といった感じ。イヴァン・リンスもゲストで飛び込みと言う大サービスがあったが、ツマラン人だったな…。

っと書きながら、誰を褒めているのか分からなくなってきたぞ。Larryは凄かったということにしておくかな…
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by SONZUKA | 2004-11-07 22:42 | 音楽

カレーの効用

今日は、休職中のN君を誘って、新検見川のシタールなるインド料理屋に行って来た。
私は2年位前、得意先の医者に紹介してもらい、それ以来病みつき状態。
N君も私が誘って以来ハマッているとのこと。
東京の有名カレーも幾つか食べたが、ここはかなりのものである。
ランチで、カレーが2種類選べ、デザートまでついて1134円。安い。
しかも、本格的なインドのカリーである。
辛いのは辛いのだが、スパイスを色々調合しているようで、単に舌にピリピリくる唐辛子的な「無意味な」辛さとは全く違い、腹の底からドドーーーンと来るヘビー級の重たい辛さなのである。
これを昼に食うと、晩飯は要らないくらい重たい。もちろん、ジムには行けない。
いつものように、キーマ(辛い)とバターチキン(甘い)を食し、雑談をして帰ってきた。

私は、薄味が好きな関西人(でも寿司好き。関西には寿司文化が存在しない)なのだが、このカレーには感服する。
恐らく、摂取カロリーは普通の昼食と変わりなく1000kcalくらいであろうが、腹持ちのよさと、充填されるスタミナのすさまじさ。インド料理の奥深さを感じさせられる。使っている食材も、スパイス以外は少しの鶏肉と牛肉くらい。スパイスは単なる植物である。それなのにこの重さとは。。。摂取カロリー以上のパワーが付くこのインドの代表料理を食べるたびにN君と「インドは凄い」と感動する。

N君との会話も「気付く人と気付かない人の違い」「在り物を在りと感じることの危険性」を論じるというこれまた非常に重いもの。この違いを音楽や芸術に例えて討議してきた。本当に重い昼食だったが、とても充実。
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by SONZUKA | 2004-11-05 19:54 | 日々雑感