「糸巻き」に汚染された人間が浄化されていく様


by SONZUKA
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Rufus & Chaka Khan「Stompin' at the Savoy」

購入したのは、大学二年頃であろうか。ロイク系の(黒っぽいという古い造語です)音楽に惹かれ始めた私が渋谷のタワーレコードで購入した。二枚組のライブ版+一部スタジオ録音というありふれた(?)構成のアルバムである。当時の私のレコード眼は中々素晴らしく、本当に良いものを購入していた。どこでしったのか、こんなマニアなアルバム。ネットもなかったのにね。色気も素っ気もない酷いジャケット…。売る気無いのかね…。
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メンバーは以下の通り。
Drums:John Robinson(バークリー卒業直後だったとのこと)
Bass:Bobby Watson(日本に住んでいたとか)
Guitar:Tony Maiden,David Williams(お馴染みですね)
そして、Horn Section
Trumpet:Jerry Hey(Seawind)
Sax:Ernie Watts,Larry Williams,Gary Herbig

なんと豪華な。
もちろんボーカルはChaka Khanである。いまは場末のクラブにも居ないブタおばさんになってしまったが。

恐らく、Rufusをコピーする人は、オリジナルよりこちらを参考にするのでは、と思うぐらいに素晴らしい演奏である。オリジナルの端正さは言わずもがな、ライブの荒々しさ、勢い、若さ!John "JR" Robinson先生もいつもより激しいのだ。

本当によい物は時代を感じさせない。音楽において時代が影響するのはテクノロジーのみである(本来は歌詞なども含まれるが最近では無視できるくらい意味のない物となっている)。ライブ録音でテクノロジーが影響するのは録音の音質や使用機材くらいなので、まぁ殆どマニアには関係ない。スタジオ録音では、逆にテクノロジーが未発達であった昔の方が楽しく聞ける。たとえば、昔のアイドル歌手(石野真子でも河合奈保子でも良い)の楽曲は如何に楽しいか。演奏家や作家が注入していた「魂の量」が全く違い、今聞いても実に新鮮である。

閑話休題。Rufusについて。
今回はあえてこのスタジオ録音の方に触れてみたい。普通、ライブ版にくっついているスタジオ録音というのは、あくまでも「オマケ」である。このアルバムのそれも同様の評価をしている人がいるようであるが、私は違う。切なくなるほどこれらの楽曲が好きだ。

リコメンドするポイントはいくつもあるが、今回はたった一つだけ触れたい。2枚目のスタジオ録音一曲目、「Ain't Nobody」である。まぁ聴けば聴くほどため息が出る。非常に難しいリズム。16ビートの9拍目を抜いたリズムパターン。ボーカルもガチガチに16が頭に鳴っていないと決して歌えない非常に難しいもの。日本人がこれを演ると「チャレンジしてます、難しいですねん」的な嫌みったらしいものになるが、本場の方々はやはり違う。あくまでもグルーヴィーにダンサブルに。マイナー調のメロディにこのパターン。腰が疼くし頭はチカチカ。この素晴らしいドラミングについては御大・John "JR" Robinson先生もお気に入りなのか、御大のホームページでも試聴できるのだ

このような芸術品をもっともっと知りたいと思う今日この頃なのであった…。
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by SONZUKA | 2005-06-19 20:04 | 音楽
前の続き。すっかりとっちらかってしまった。校正して書かなければならないのだが…。

要するに、、、
「決まりを守る」ことの重要性である。
憲法というボヤっとした大きなものでも、タバコのポイ捨てをしない、ゴミ出しのルールを守るという小さなものでもつながっていると思うのだ。「してはいけないことをしない」という、当たり前を、我々国民の代表である国会議員がいとも簡単に破る。小泉もしっかりとした説明が必要なのに我々を煙をまく。国民もそれに対して怒らない。この雰囲気というか、atmosphereは非常にまずい。

これは同じく今ホットな憲法問題にもつながる。例え憲法を改定してもあっさりと解釈改憲により、本来の精神を破られる可能性が大きい。かといってこのまま(本来の意味での)違憲状態を続けるのは国民に与えるモラルに多大な悪影響が出るので、(憲法という形にはそぐわないのかもしれんが)、解釈改憲というインチキがする余地の無い(理科系的な)厳密な文面で綴るのが望ましい。

靖国参拝は私個人の気持ちとしては実施してもらいたい。が、仮にも違憲という判決が出た以上、これは真摯に受け止めなければならない。これを愚弄する判決後の小泉談話に、何故メディア、国民は違和感を感じ、怒らないのか。こういう小さなこと(これは大きい問題だとは思うが)にいちいち過敏に反応し、世論をそれとなく形成することの積み重ねが国家の暴走を防ぐことが出来ると思うのだ。こういう意味で、今後靖国に「公的」参拝は絶対反対。

現在のマスコミでの議論に違和感を感じてしまうのはこういう訳なのだ。

靖国問題とゴミ出しのルールを守れない人々と、つながっているように思えるのは私だけだろうか…。
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by SONZUKA | 2005-06-18 15:38 | 日々雑感
久しぶりに書いてみよう。

最近、靖国問題がホットのようだ。お隣の国々とそちらを向いている一部の政治家が大騒ぎしているようだ。何と平和なことだろう。毎日、新聞で靖国問題の記事を目にし、ゴミがちらかっている汚い我が街を見るにつけ、私は「決まりを守るという倫理観」と靖国問題を一緒に考えてしまう。

去年の話だが、小泉の靖国参拝は違憲だと福岡地裁は判決を下した。「小泉首相の参拝は職務の執行に当たる」と指摘したもので、色々意見は出ているが、政教分離に抵触するとの判決であるようだ。

国家元首(定義は分かれるだろうが)たる首相が国家のために戦い、戦死した軍人をお参りする行為自体は当たり前だと思うのだが、現状の憲法と靖国神社の成り立ち、公的(と取られても仕様が無い)参拝方法などから考えると、政教分離に抵触する批判も理解できなくはない。しかしながら「政教分離」もその定義が難しい。合衆国憲法における「政教分離」の「教」は「教会」を指し、即ち特定の教会を他の教会と区別することなかれという意味だと読んだことがある。「教」はキリスト教を指すわけではないのだ。大統領が選出された時に聖書に手を置いて神に誓うという行動からもキリスト教は「公共宗教」として大前提の存在であることは伺える。となると、アメリカに草案を作ってもらい日本人がそれを自らの物にした経緯のある現行憲法においての「政教分離」は何を意味するのか。果たして、福岡地裁の判決にあるように靖国公的参拝が「政教分離」の定義に抵触するのか、という疑問は残ってしまう。

また、国立の戦没者追悼施設を作ろうという妥協案で政教分離は解決できないと考える。影もカタチもない既に肉体がこの世にない人を弔うという行為は宗教でないのであろうか。

はたまた、伊勢神宮参拝も訴える人がいれば違憲となるかもしれない。八百万の神を祀る多神教の宗教を公的に支持していることにはならないのか。天皇の存在はどうなんだろうか。天皇は国の象徴(国家元首的存在)であり、その天皇の祖先である(神話的なレベルではあるが)天照大神は伊勢神宮に祀られている。その天皇が行政の実行部隊責任者である首相を任命する。どうなんでしょう。

しかしながら、、、である。
これ以上小泉が「公的に」参拝を継続しようとするならば、それは責められるべきだ。三権の司法が如何な物か、という判決を出したわけで、それを尊重するのがあるべき姿だ。左翼とか、韓国中国とか、イデオロギーや好き嫌い、国益の問題ではなく、「決まりを遵守するか否か」の、それらより上位の問題であろう。三権分立という小学生でも知っていることを容易く侵す人間が衆議院議長であるのもお笑いだがね。
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by SONZUKA | 2005-06-17 23:39 | 日々雑感