「糸巻き」に汚染された人間が浄化されていく様


by SONZUKA
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「首相の靖国参拝は違憲」と報道された

以前、友人と靖国問題について議論を交わし色々教えて貰ったことがあったので、それなりに興味を持ってこの問題に注目していた。今回の天下の大朝日新聞の報道は相変わらずですなぁ。こういう姿勢は何もこの件だけではなく、未だに自社の「捏造報道」に関しても何の結論を出していない程の一貫した姿勢を持っている筋金入りなのだ。

判決を読むと、「精神的苦痛を受けたという台湾人116人を含む計188人が、国と小泉首相、靖国神社に1人あたり1万円の損害賠償を求めた」請求が却下されたということで、天下の大朝日がいう「靖国参拝が違憲」というのは、「傍論として述べられた裁判官の私見として違憲と述べた」ことであって、決して「首相の靖国参拝は違憲」という判決が出たわけではない。構造として、昨年の福岡での判決と同じである。116人もの台湾人が原告に含まれている時点できな臭いのだが。まあいいや。

これはあくまでも傍論であって、先例にもならないし法的拘束力はないため、首相はこれまで通り公用車を使い、公費で雇っているSPを従えて靖国参拝が出来るわけだ、法的には。

しかし、である。判決では参拝が「公的か私的か」を検討しており、今回の参拝は「首相の職務と認めるのが相当」と判断されている。日本国憲法における「政教分離」の定義など議論すべきことが多いのだが、三権の一翼を担う立法が「首相として公の立場として一宗教団体に詣る活動が宗教的活動で「政教分離」の原則に抵触する」との判断を下したわけで、首相は前回のような「煙に巻く」言動は慎むべきだ。

少なくとも、
(1)私的参拝の形式を取る、
(2)「政教分離」の定義に関して、正面から議論をする、
(3)別の裁判で東京高裁において違憲とはいえないという判断が下されたので、もし上告があれば、最高裁の判断が出るまでは靖国参拝を慎む、
などの真摯な態度で受け止めるべきだ。公権力の暴走に歯止めを掛ける、というのが憲法の意義であり、それを軽んじる権力者の存在を国民は断じて許してはならない。これが日本国民が第二次大戦から血を吐いて得た教訓なのである。イデオロギーの差で片付けられる軽い問題ではない。

現在、改憲の流れが急に出来つつある。ホンの数年前なら、改憲を口にする国務大臣は糾弾され、「右翼だ」「軍国主義者だ」などと白い目で見られていたのだが。この流れが単にアジアの軍事バランスの変化から来ているのなら「ようやく国民が目覚めた」という話になるのだろうが、どうなんだろう。朝生で慶応の小林節教授が仰っていた「改憲には賛成だが現段階での改憲には反対する」という考え方に私は賛成する(「それは単なる法律家のニヒリズムだ」と茶々を入れる輩も居たようだが)。

今するべきことは、(靖国問題に限定して言うと)改憲における「政教分離」に関して真摯な議論を行うことだ。非現実なニヒリズムなのかもしれないが、我々日本国民が自主的に「憲法という権力者の行為する範囲を規定する」という有史以来初めての行為には、大いなる議論と紆余曲折が不可欠であろう。こういった議論の中から、この国の形や在り方などが見えてくるはずである(靖国問題から、大昔から自然と根付いた神道、それを天皇に結びつけ全体主義に利用した国家神道、権力者が歴史的にとりがちな国民が警戒すべき行動パターン、万世一系と言われる天皇制など、当に国の在り方が見えてくる)。

「政治的判断」「解釈」などという「ムラ」でしかなりたたない説明で権力者が放たれる、「鵜飼いの紐無し状態」のような曖昧な文面ではなく、その余地がないものにしなければならない。余所のお国の憲法がどうかなどは全く参考にならない。他の国民とは全く違うのが我々なのだから。

北朝鮮から核が飛んでくるまでに議論をまとめなければならないのだ。
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by SONZUKA | 2005-10-02 21:18 | 日々雑感