「糸巻き」に汚染された人間が浄化されていく様


by SONZUKA
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VancouverのFlight Centreという旅行会社の前を通るたびに気になって仕方がなかったのが航空券の値段を示す看板であった。看板には「Tokyo:$ 000」「Sydney:$ 000」というRoundtripの航空運賃が示されてある。その中にはHong KongやTrontoなどに混じり当然、New YorkやLondonなどかつてより憧れてやまなかった都市の名前もあり、それを見るたびに、今自分はVanvouverに居り、しかもここはアメリカやヨーロッパの近くなのだと感じ、機会を設けてLos AngelesかNew Yorkに週末を利用して行って見たいな、と思っていた。

ところがひょんなことから、ちょっとしたお出かけが本格的な旅行へと大幅に企画変更となった。2月23日にVancouverを起ち、NYC→London→Paris→NYCと欧米三カ国を巡り2週間後の3月8日にVancouverに帰るという大旅行になってしまった。飛行機のチケットのみを購入して、気ままに旅行するというのはパック化された旅行会社の商品を買うのとは違い、出費がかさむ。なによりも語学学校を2週間休んでいくという、本来のVancouverに来た目的を無視してしまうことに若干躊躇はしたものの、2週間の気ままな旅行は人生最初で最後かもしれないと自分を納得させ、決行させた。

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New Yorkと言えば文化やスポーツ、経済の当に世界の中心であり、音楽好きはNew Yorkと聞くだけで、それぞれ特定の音色を思い浮かべるだろう。もちろん私にとって、New Yorkとは現代音楽のメッカであり、New York Soundと聞くだけで腰が疼き目がハートになる当にあこがれの街である。「Cool」という言葉が何よりもどこよりも似合う街。街を歩き空気を吸うだけで少しだけCoolになれるのではないかと妄想していたのだ。

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実際、丸五日マンハッタンの同じホテルに滞在し、北から南まで歩き尽くし、地球の歩き方に載っているめぼしい名所はほぼ制覇してしまった。おそらく80km近くは歩いたのではなかろうか。自由の女神、ハーレム、ウォール街。WTC跡地、セントラルパーク、国連本部。Madison Square GardenでNew York NicksのNBAの試合を見、ハーレムのソウルフードのレストランで黒人達と食事をし、Peter Luger Steak Houseで名物T-boneステーキを食べ(二回も!)B.B.King Blues Club&GrillでSteelin' Danというシニカルな名前のSteely Danのコピーバンドを楽しんだ。初日の夜JFKに着き、New Yorkの夜は怖いのでバスを使おうかそれとも地下鉄にチャレンジしてみようかと逡巡していたのが、最終日にはそれが嘘のように当たり前の顔をして黒人に混じり地下鉄に乗れるようになった。

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お世辞にも親切だとか綺麗だとは言えない街。古い建物を壊さないで活用している点は日本も見習うべきだが、道路の舗装はボコボコ、街はゴミだらけ。地下鉄の表示は不親切、店員の接客態度は酷く冷たい。電話を掛けようと公衆電話に行くと25¢しか入れられない電話機で1ドル入れろと請求され、25¢コインを四枚入手するのに一苦労する街なのだ。かゆいところに手が届く日本に住む私には「?」がグルグルアタマを巡る、そんなNew Yorkだが、強く印象に残ったことを二つ、備忘録的に書いてみたい。

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①初日、JFKに20時に着き、ホテルに入ったのは22時過ぎとなったので、夕食を摂ろうとホテルの隣の日本料理屋で軽くすましてしまおうと考えたのだが、23時で閉店となってしまうとのことなので、ホテルのクラークに勧められた日本食レストランに向かっている途中、「Jazz」という看板を発見、覗いてみると23時からステージが始まるという。「Jazz Standard」というClub。

DrummerがLeaderでBass、Piano、PercussionとSax、Trumpetという理想的な編成のバンドだったので入ってみることとした。客の入りは8割弱と言ったところで、老若男女がごくごく自然体で音楽と食事を楽しみに来ている雰囲気がとても心地よいClubであった。ステージ真横の席には老紳士が陣取っており、渋いClubに華を添えていた。演奏が始まり、飛行機での疲れと空腹で飲んだアルコールが触媒となり、当に最高の気分。数曲終わったところでバンマスであるDrummerがマイクを取り、スペシャルゲストを紹介した。そこで出てきたのがステージ真横の老紳士である。足下もおぼつかないその老紳士は、同伴の女性に支えられながらよたよたとステージに上がり、愛用のTenorSaxを重そうに首につるした。そこで始まったのがスローテンポのバラードであった。その柔らかな音色、濃厚なフレーズ、大きなリズム。

老成とか熟達とか円熟とか、日本語で説明が出来ないのが悲しい限り。やはり現代音楽は欧米人の文化なのだ。日本語で説明できないのだから。英語を借りて説明するとCoolの一言で事足りる。当にCoolという言葉以外に適した表現が見つからない。このバラード以外にもアップテンポの曲を若いメンバーと共に演奏してステージを降りたこの爺さんは当にCoolであった。こういった年のとり方をしたいと痛感した夜だった。

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②マンハッタンを北から南まで歩き尽くしたので、旧所名跡をスポット的にバスで巡るパッケージ化されたツアーでは味わえないDeepなNew Yorkを体験できたと思う。New Yorkは人種のるつぼ、という表現はベタすぎて使いたくはないのだが、当にその通り。あらゆる人種が蠢いていた。それがNew Yorkの活気の源なのだろう。BroadwayもHarlem、Wall Street、China Townも活気に充ち満ちていた。確かに活気に満ち溢れてはいるのだが、よそ者の私には何となく排他的というか、他を受け入れない雰囲気があった。何となく緊張感も感じた。渡辺美里の「Flower Bed」というアルバムの「冷たいミルク」という曲に「一年のここの暮らしにも何とか少しは慣れてきた」という一節があるのだが、本当にNew Yorkの暮らしに何とか慣れるには1年くらい掛かるかもしれないと思うほどである。

3月6日にParisのCharles de Gaulle空港をNew YorkのNewark空港に向けて出発したのだが、飛行機はインド発Paris経由Newark行きのAir India便であったため、インド人だらけ。しかも殆どがインドからの乗客であるようで皆疲れている様子であった。私の隣は足が悪いインド人の老婆で、リウマチが原因なのか、膝の手術をしたと私に傷跡を見せてくれた。インド人でしかも老婆なのに英語が話せるんだ、と感心していたら、飛行中はその老婆に今何時だ、あと何時間で着くのか、今はどの辺りを飛んでいるのか、など質問攻めにされた上、老婆が動くたびにテーブルの収納を手伝ったり機内食や水を手渡してやったりとほぼ付き添いの介護人状態。やや閉口気味だったのだが、これも何かの縁だろうと割り切ってお世話をすることにした。

ようやく着陸が近づき、ふと老婆を見てみると、彼女は窓から大人しくNew Yorkの街をじっと見つめていた。静かになってこりゃ幸いと思ってビデオを見ていると、老婆の質問が始まった。「今はどの辺りか?」「New York上空です」「ここで降りるのか?」「そうです、終点ですから」「空港では何を見せればよいのか?」「入国の紙とパスポートです」。ふとパスポートを見るとそれはアメリカのパスポートだった。彼女はインド系のれっきとしたアメリカ人だったのだ。そりゃ下手ながらも英語が話せるはずである。この老婆はおそらくインドに里帰りをして、その帰りであったのだろう。当に「人種のるつぼ」の中の一人であったのだ。

そのアメリカのパスポートを見てから「老婆は若いころ希望を抱いて祖国を出たのだろう。どこかよそ者を受け付けない雰囲気のあるNew Yorkで色々辛いこともあったに違いない。それから数十年経っても英語もままならない老婆はおそらく異国の地・米国の狭いインドのコミュニティーで人生の殆どを送ったに違いない。この老婆にとって最後の里帰りだったのかもしれない。今どのような気持ちで眼下の街を眺めているんだろう」と勝手に想像力を逞しくしてしまい少し悲しい気分となった。Vancouverに来た当初、単純に海外に移住することに憧れたりしたが、祖国を離れ異文化の地に暮らし生涯を終えることが如何に困難か、祖国の存在が如何に自分にとって大きなものかを強く認識した出来事だった。

(写真は順不同です…)
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by SONZUKA | 2008-02-28 06:42 | 日々雑感

お馴染みのMy Resolution

(Vancouver Public LibraryのそばのBlenzにて。YouTubeでMarcus Miller - Live Under The Sky '91のライブを見ながら)

今は21日のちょうど16時である。早いものでVancouverに来て丸二ヶ月が経過した。Vancouverでの生活は残すところ10日弱となった。改めて考えると30を過ぎて会社を辞め、三ヶ月も海外で語学留学をするとは贅沢の極みだと思う。

肝心の語学の方はというと、やはり楽器やダイエットと同じく、三ヶ月ばかりではどうにもならないと言うことを痛感した、というのが主な成果となりそうなのが悲しい限り。先生が教室の中でNativeのスピードで話す英語はほぼ正確に聞き取れるようになったが、Discussionの中で流暢に自分の考えをアウトプットできるレベルにまで到達させるには、気の遠くなる努力が必要となりそうだ。日本語話者が全く異なった言語系統に属する英語を話すというのはやはり相当な努力が必要なのだ。

これは韓国人においても同様で、英語に掛けるコストと時間は日本人の想像を絶するものがある。高麗大学など韓国の超一流大学では十年ほど前から授業の半分以上を英語で行い始めたのに従い、高校での英語熱は高まる一方だとのこと(大前研一によると)。しかも、就職においてはTOEICでのハイスコア(800とか900とか)が必要条件になっているらしく、私の通う二つの語学学校では半数以上が韓国人である。カナダが二カ国目の留学で1年間滞在する予定です、なんていう強者(?)も珍しくない。一人当たりのGDPが半分程度の韓国の人たちにとって英語に対する投資はかなり大きいと言える。また次期大統領の李明博が小学校から全ての科目を英語で教えるという打ち出しているとのことで更に拍車が掛かるだろう、との韓国人の友人談である。

こと英語についてはすでに韓国に大きく後れを取っている日本だが、果たして日本がこういった政策を採るべきか。英語のエスペラント化はビジネスにおいても学問においても一層進んでいる。それに加えインターネット上の情報の9割は英語であるという。今やネットを使いこなす能力はごく当たり前のリテラシであるから、ビジネスや学問とは無縁の人たちにとっても英語はエスペラントとなった。

しかし海外で一年間ホームステイをして語学を学ぶというのは時間とカネの浪費であろう。学費と生活費で300万円程度の費用を海外で支出した上、貴重な一年間を語学と遊びに費やすというのは一個人においても国家にとっても大きすぎる代償である。国民が英語を使えるようになるために必要な教育を国内で提供する方法を考えるべき時期はとうに来ているのかもしれない。

自分の現状を棚に上げて書き連ねてみましたが、それだけ英語習得は重要で大変だということ。帰国後は毎日15分のNHKラジオ講座を【継続する】ことから始めよう。このお馴染みのResolutionをブチ上げるのはこれを最後にしたいものである。
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by SONZUKA | 2008-02-22 09:04 | 日々雑感